近鉄1460系電車
近鉄1460系電車(きんてつ1460けいでんしゃ)は、1957年に登場した近畿日本鉄道の大阪線用通勤形電車である。 本項では増備型の1470系電車も含めて記述する。なお、解説の便宜上、賢島側先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:モ1462以下2両編成=1462F)する。 1460系
1957年に上本町駅 - 信貴線信貴山口駅間直通準急・普通(いずれも1967年12月20日廃止)用として登場した大阪線初の量産型高性能車である。 上本町寄りからモ1460形奇数(cM)-モ1460形偶数(Mc)の2両編成で、1462F・1464F・1466Fの3編成6両がMMユニット方式で製造された。 車体構造車体は全金属であり、両開き3扉、サッシュレス下降窓を採用した。屋根肩のRが大きく幕板に相当する部分が殆ど無い断面形状が特徴である[1]。この片側両開き3扉のスタイルは後に名古屋線の旧車機器流用車6441系と旧モ1421形に採用されたが、南大阪線用の6800系ラビットカーで採用された片側4扉が1470系をはじめとするこの後の系列に採用されたため、完全新造車では1988年登場の5200系まで3扉車は製造されることはなかった。前照灯は一灯形で登場。後にシールドビーム二灯形に改められたが、廃車になるまで外観は一灯形のスタイルのままであった。 塗装本形式はベージュに100mm幅青帯の塗装を初めて採用し、その後の広軌線高性能一般車の標準塗装となった[2]。1965年頃から塗装工程簡略化のためにあかね色一色となり、1986年には1編成のみ近鉄マルーンレッドとシルキーホワイトの塗装となった。 主要機器・性能性能は全電動車方式による高加減速性能を重視し、起動加速度はそれまでの車両より高めの3.5km/h/s、減速度は4.0km/h/sである。 足回りは1954年に試作車として改造されたモ1450形を基本としており、主電動機は三菱電機製MB-3028-A2[3]、75kW×4個)を装備し[4]、制御装置は1C4M制御の三菱電機製単位スイッチ式ABFM-108-15MDH(主制御器はMU-13-293、停止・抑速用電気制動付)を搭載した[4][5]。駆動方式はWNドライブである[4]。 台車は近畿車輛製KD-22を採用し[4]、ブレーキ(制動)方式は電磁直通ブレーキHSC-D型である。空気圧縮機は三菱製D-3-FR、補助電源装置は三菱電機製MG-57-S (交流出力、近鉄初の60Hz機)でありどちらも偶数車に装備された[4]。 集電装置は三菱電機製S-524-ACであり奇数車の非運転台寄りに設置されている。通風装置は三菱電機製ファンデリアが搭載された。 運用・転属当初は朝ラッシュ時の上本町駅 - 名張駅・伊賀神戸駅間の通勤急行などに充当されることもあったが、その後名古屋線に転属するまでは各駅停車や準急などの大阪線内での区間運用車や信貴線で運用された。 1975年に車種統一のため名古屋線に転属し、晩年は主に志摩線および山田線や鳥羽線から志摩線に直通する普通列車に使用されていた。 改造・廃車1960年に他系列と併結を可能とするために一部の改造が施された。1972年には運転室が半室式から全室式に改造され、客室ではファンデリアを撤去して扇風機が設置された。その他、上記の塗色変更が行われている。 1987年6月30日付で老朽化を理由として1464F・1466Fが[6]廃車となった。次いで1988年1月に1462Fが[7]廃車となり形式消滅した。 1470系
1959年登場。車体は南大阪線用の6800系ラビットカーと同様の片側4扉(両開き式)となり、前照灯もシールドビーム二灯式となった。前照灯の間隔は6800系一次車と異なり、1300mmに広げられており、8800系まで続く近鉄通勤車両の原型ともいうべきスタイルをこの車両で確立している。上本町寄りからモ1470形奇数(cM)-モ1470偶数(Mc)の2両編成を組み、1472F - 1480Fの5編成10両が製造された。 足回り・性能は前述の1460系に準じているが、補助電源装置が変更 (三菱電機製 MG-57B-S) され、通風装置は三菱電機製のファンデリアと扇風機が併用された。また、集電装置が大阪線一般車初の東洋電機製造製 (PT-42Q1、奇数車の非運転台寄設置) になり、台車は近畿車輛製 KD-36 になっている。なお、近鉄で初めて電気連結器を搭載している。 1460系同様に編成全体の出力が低かったことから、青山越えの運用ができないため、出場当初は主に大阪線の上本町 - 伊賀神戸間および信貴線直通列車で用いられたが、本系列をベースに主電動機の出力をアップした1480系出場後は、主に河内国分以西の区間車や信貴線で用いられるようになった。 改造・廃車1964年頃から1460系同様に登場時のベージュに100mm幅青帯の塗装からあかね色に塗り替えられた。その後、1972年に運転台を半室式から全室式に改造された。長編成化のため、1974年に奇数車の運転台が撤去され、乗務員扉跡には丸妻のまま小窓が設けられ、同時に座席をこの部分まで延長している。このため本形式単独の編成は不可能となり、本形式4両に他形式の制御車(主に増結用先頭車である1480系ク1590形・2410系ク2590形など)を連結した5両編成などで運用されるようになった。また出力とMT比の関係から、専ら河内国分以西の運用となった。通風装置は扇風機のみになった。 1980年代中頃に実施されたツートンカラーへの塗色変更の時点で車齢が25年以上経過していたため、本系列は冷房改造や現行塗色(シルキーホワイトとマルーンレッドの二色塗り)への変更は行われず、1984年6月15日付で1476F・1478Fが廃車[8]、1474Fが1985年1月16日付で廃車となった[9]。そして1987年8月30日付で1472F・1480Fが廃車された[6]ため、全車が廃車されて系列消滅した。なお、廃車まで大阪線に在籍した。また、本系列の廃車により、大阪線の河内国分駅以西および信貴線のみでしか運用できない、いわゆる「区間車」の所属がなくなった。 保存車1474のみ、廃車後東大阪短期大学(現・東大阪大学)付属幼稚園の遊具施設として譲渡された[10]。 脚注
参考文献
関連項目
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