車折神社
車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨朝日町にある神社。旧社格は村社。現在は神社本庁に属さない単立神社である。「車柝神社」とも表記される[1]。 祭神祭神は清原頼業(きよはらのよりなり)である。頼業は、学問で有名な広澄流清原氏の出であり、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者であった。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評された。 歴史文治5年(1189年)に清原頼業が亡くなると、清原家の領地であった現在地に頼業の廟が設けられ、後に頼業の院号にちなんで宝寿院という寺院が建立された。その後、宝寿院は清原家の菩提寺となり、その境内に頼業を祀る社が建てられた、それが当社の起源である。なお、頼業は良く桜を愛でていたことから当地には多くの桜が植えられ、別名「桜の宮」と呼ばれていた。 社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。 頼業を祀る社が車折神社と呼ばれて一般に信仰が広まるのは江戸時代以降のようである。 当社は明治時代になると神仏分離によって宝寿寺から独立したが、荒廃してしまった。そこに、文人画家で儒学者でもある富岡鉄斎が宮司として入り、復興させた。 境内
境内社
祭事例祭は5月14日で、その延長神事として5月第3日曜日に「三船祭」が行われる。昭和天皇即位を記念して1928年(昭和3年)より催行されているもので、嵐山の大堰川にて平安時代の船遊びが再現される。 文化財重要美術品その他画家・富岡鉄斎が一時当社の宮司を務めていた関係から、鉄斎の作品が多数伝わっており、「車軒文庫」として管理されている。また、社名標や本殿の扁額は鉄斎の筆によるものである。 時代劇ロケ車折神社は、東映や松竹の撮影所が近くにあることから、映画やドラマのロケによく使用されている。以下は、車折神社で撮影を行った主な時代劇のタイトル。 前後の札所交通
脚注
外部リンク
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