赤星拓
赤星 拓(あかほし たく、1984年4月21日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 来歴福岡大学2年時から大学選抜に選出され、2004年1月にはカタール国際ユーストーナメントに参戦。3年時の2005年にはユニバーシアード・イズミル大会の優勝に貢献。時久省吾と正GKの座を争った。4年時の2006年には、特別指定選手として大分トリニータに選手登録された。 2007年にJ2・サガン鳥栖に加入[1]。新人ながら開幕戦にスタメン出場するなど、正GKとして活躍。その後、2008年に室拓哉が移籍加入し、浅井俊光も含めて激しい正GK争いを繰り広げた。 2011年から鳥栖の最古参選手となった。この年は、シーズン中盤からスタメン奪取し後半戦のチームの快進撃を支え、J1昇格に貢献した。 2012年は特別指定時代を除き初めてのJ1でのプレーとなったが、開幕節・セレッソ大阪戦で先発出場によりJ1初出場を記録すると、その後も主に正GKを務めリーグ戦30試合に出場。 2013年も開幕から殆どの試合で正GKを務めていたが、第19節・柏レイソル戦で左肋骨を骨折する怪我を負い途中交代し、戦線離脱[2]。その後、代役の奥田達朗も負傷離脱し、プレーできるGKが特別指定選手の藤嶋栄介のみとなったことから[3]、鳥栖が林彰洋を補強すると、そのまま林が正GKに定着。赤星は復帰後もレギュラーを奪取することはできなかった。 2014年以降も基本的には林が正GKを務め、赤星はサブメンバーとしてベンチ入りすることが多かったが[4]2015年は7月に林が負傷離脱したこともあり[5]リーグ戦11試合に出場した。 2015年、夏の鷹の祭典(鹿島アントラーズ戦)の試合途中、味方DFキム・ミンヒョクと接触し、負傷退場するという、アクシデントに見舞われた。その後、森下監督は、控えのGKである藤嶋栄介を投入。しかし、赤星の退場後、3失点を許し、ホームで0-3と敗戦した。 林は2016年オフにFC東京へ移籍したが、入れ替わるように新たに元日本代表・権田修一が加入すると開幕から権田が正GKに定着。赤星は前年までと同じく主にサブメンバーを務め、リーグ戦2試合の出場に留まった[6]。 2018年8月16日に徳島ヴォルティスへの期限付き移籍が発表された[7]が、出場機会は得られず、2018年12月30日、2018年シーズン限りでの現役引退を発表した[8]。 所属クラブ
個人成績
代表・選抜歴
出場大会
脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia