赤川元秀
赤川 元秀(あかがわ もとひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。 生涯毛利氏家臣である赤川就秀の長男として誕生。初めは井上元盛の娘を娶るが、後に離縁し、野上房忠の娘を継室に迎えた。 天文10年(1541年)の吉田郡山城の戦いを初めとして、天文12年(1543年)の第一次月山富田城の戦いや天文24年(1555年)の安芸国矢野の戦いなどで武功を立て、毛利元就から感状を与えられた。 永禄11年(1568年)の大友氏攻めでは陣奉行を命じられ、元亀3年(1572年)の毛利氏掟では年寄衆の一人として掟を確認している。天正8年(1580年)頃には備後国福山城を守備し、400貫の給地宛行を毛利輝元から約束された。 天正19年(1591年)12月30日に死去。子の元房が後を継いだ。 系譜参考文献 |