谷口澄夫
谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 2001年1月15日[1])は、日本の歴史学者・教育者。 概略岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)に生まれる。1940年に広島文理科大学を卒業。1949年岡山大学教育学部助教授、1953年同教授となる。岡山藩の研究で大きな成果を残した。 1969年には前学長の退任を受け学長代行(学長事務取扱)に選ばれ、同年岡山大学の第7代学長となる。学園紛争期の難局を乗り切った。退任し名誉教授。後の1978年には、新たに開学した兵庫教育大学の初代学長に迎えられる。1986年まで同大学学長を務めた後、倉敷芸術科学大学学長、就実女子大学学長を歴任。その他、数々の教育・文化関連団体の要職に就いた。 1981年岡山県三木記念賞。1986年勲二等旭日重光章。教育及び大学運営に対する多大な功績がみとめられ、岡山県から名誉県民[2]の称号が贈られた。 公益財団法人福武教育文化振興財団により、谷口の名を冠する褒賞として、「岡山県の教育の向上に著しい貢献が期待される教育者または団体」に贈られる「谷口澄夫教育奨励賞」が創設されている。 主な著作単著共編著脚注
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