観音寺 (豊岡市)
観音寺(かんのんじ)は、兵庫県豊岡市にある天台宗の仏教寺院。山号は信貴山(しきさん)で、信貴山 観音寺と号する。本尊は十一面観世音菩薩。北兵庫屈指の古刹で、近衛天皇の勅願所[1]。 歴史行基が、天平21年(749年)に但馬国を訪れて霊場を開き、この場所に十一面観世音菩薩の安置堂を建立し国家鎮守・郷土豊楽を祈願したことに始まる寺院。所在地は観音寺川の北側、観音寺山(鶴ヶ峰)の山腹南東側にあり、かつては「観音寺村」と呼ばれた地域。村名、山名、川名ともにこの寺院があったことに由来して命名されており1,300年近くの歴史を有する北兵庫屈指の古刹である[1]。 その後、寛仁元年(1017年)、時運の流れによる衰微を惜しんだ恵心僧都(942年-1017年)が中興し、最盛期は、一山九坊の伽藍を備え、久安年間(1145年-1151年)には、近衛天皇の勅願所となり格式を備えた。 南北朝時代・至徳年間(1384年-1387年)に、城崎温泉寺の清禅和尚よって但馬西国第五番札所に定められた[2]。 天正年間(1573年-1592年)に、豊臣秀吉の但馬侵攻で兵火に遭い伽藍が焼失。その後、再建されて今日に至っている[1]。本尊は行基作と伝えられる十一面観世音菩薩で、本堂、庫裏、鐘楼、仁王門を備えている。 戦災や火事の被害にも度々遭いながらも、周囲の崇敬を得て再興され寺歴を継いできた。現在の住職は山本良年法印で、観音寺を再中興した大僧都大阿闍梨豪賢法印から数えて第20世にあたる。
中興祖・恵心僧都千年遠忌観音寺の中興祖である恵心僧都(源信)は、平安時代中期の天台宗の僧であるが、日本の浄土教の祖と称され、法然や親鸞に大きな影響を与えた[3]。特に浄土真宗では七高僧の第六祖とされる。そのため、恵心僧都の千年遠忌(2016年)に当たり、天台宗・浄土宗・西本願寺が宗派の枠を超えて合同で、延暦寺(天台宗総本山)に会し大法要が営まれることになった[3]。また、千年遠忌を無事に迎えたのに合わせ、2017年2月には天台宗総本山・延暦寺の座主を導師に浄土宗総本山・知恩院と浄土真宗本願寺派本山・西本願寺において法要が営まれることとなった(天台宗最高位の座主が両寺で法要を営むのは史上初)[3]。 所蔵品境内北兵庫最古の現存木造仁王門仁王門は、室町時代中期に建てられた。寄棟造、桟瓦葺、南に面する三間一戸づくりの一重門で、前面両脇にやや高めの板張りの床がある様式で、内陣には左右に阿形と吽形の金剛力士像を安置している。細部は和様を基調として唐様を混用した形式で、全体としては構造、意匠ともに豪奢を避け、朴訥な古様である。蟇股や蓑束の部分は室町時代の特徴を知ることができる[1]。 この仁王門は、山腹に建つ寺院の本堂よりやや離れた場所、山門登り口にあり幸いにも兵火を免れたため、現在は北兵庫最古の現存木造仁王門として、兵庫県の重要文化財に指定されている[1]。 行事交通アクセス
但馬三十三観音霊場
主な住職脚注参考文献
周辺外部リンク |
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