観音寺 (対馬市)
観音寺(かんのんじ)は、長崎県対馬市豊玉町小綱にある臨済宗南禅寺派の寺。 銅造観世音菩薩坐像像高50.5センチメートル。結跏趺坐する観音菩薩像である。右手を胸の辺に挙げ、左手は腹前に掌を上にして構え、両手とも第3指を屈する。宝髻を高く結い上げ、両肩に垂髪を表す。両耳部の耳璫、胸部や膝部に表された瓔珞、両脚部の複雑に表された衣文の扱いなどの煩雑な表現に高麗時代(918年~1392年)の中期から末期にかけての特色がみられる。像内に納入されていた結縁文に天暦3年(元徳2年、1330年)2月に戒真ら三十数名の発願によって造立されたとあり、14世紀の朝鮮半島で制作された仏像であると考えられている。結縁文には「高麗国瑞州浮石寺」と記されているため、かつては同寺に安置されていたものと考えられる[1][2]。 観音寺に安置されるようになった経緯は不明。ただし、鎮護国家である高麗が仏教を保護したのに対し、儒教を国教とした朝鮮王朝(1392年~1910年)は仏教を弾圧するようになり、仏像も没収・破壊が繰り返されていたため、朝鮮人にとって価値が低下した仏像を仏教を信仰する対馬の日本人が交易の中で手に入れたものではないかと日本側は見ている[3]。一方、韓国・東国大学の名誉教授は、1370年頃に倭寇が同像を略奪したとの論文を発表している[4]。 盗難事件2012年(平成24年)10月9日、盗難に遭っていたことが判明(対馬仏像盗難事件)。8日夕方以降に盗まれたとみられている[5]。2013年(平成25年)1月に韓国人の男(69)らが逮捕された。同じ対馬市にある海神神社の「銅造如来立像」(国の重要文化財)や多久頭魂神社の「大蔵経」(長崎県指定有形文化財)も盗んでおり、韓国内で売り捌こうとしていた[6]。 浮石寺の信徒会は、この仏像はもともと浮石寺にあったものを日本が不当に強奪したのだと主張し、観音寺ではなく浮石寺に返すよう求めている[7]。ただし、倭寇に略奪された根拠となる文献等については、仏像を失ったときに思い出すのが悲しいので捨てたと主張している[8]。また、日本に対しても「韓国は日本に仏教や仏像を伝えました。それなのに日本人は寺を燃やし仏像を奪っていきました。過去の歴史を日本は認める姿勢はあるのかということです。返還して欲しければ略奪ではなく友好的に贈られたことを日本側が証明すべきだ」と主張している[9]。 2017年7月5日、浮石寺の円牛住職は「日本では、韓国が盗んだ物を返していないと言われているが、そうではない。盗んだ人は逮捕され、処罰された。それで窃盗事件は終わった。」として事件の解決を宣言した[10]。 対馬市では、市の人口の約半数の16803人分の仏像の早期返還を求める署名が集まり[11]、2018年1月25日、観音寺は韓国政府に仏像の早期返還を働きかけるよう求める要望書を外務省や県などに送付した[12]。 その一方で、日本の朝日新聞は韓国に盗まれた仏像を日韓の共有財産とすることでの解決を求めている[13][14]。 2024年9月25日までに、韓国の浮石寺が、観音寺の所有権を認めた韓国大法院判決を踏まえ、日本への返還に反対しない考えを日本側に伝えた。返還前に寺で100日間の法要を行うことが条件という[15]。 年表
脚注
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