袁斉嬀
袁 斉嬀(えん せいき)は、南朝宋の文帝劉義隆の皇后。本貫は陳郡陽夏県。 経歴袁湛の娘として生まれた。母の王氏は正妻ではなく、関係は不明であるが、卑賤の出であったという。6歲まで、袁斉嬀は父から認可されない。 宜都王劉義隆にとつぎ、宜都王妃に立てられた。劉劭と東陽献公主劉英娥を産んだ。元嘉元年(424年)9月、皇后に立てられた。 皇后は頻繁に袁氏一族への賞賜を求めた。文帝は節倹を重視し、每回の賞賜は数万銭だけであった。潘淑妃が文帝の寵愛を受けるようになると、皇后は淑妃に頼んで袁氏一族に30万銭の大金を求め、翌日にはそれを得ることができた。そのことから皇后は潘淑妃を嫉妬し恨むようになり、病と称して文帝に会うのを避けるようになった。始興王劉濬ら諸庶子が見舞いに訪れても面会に応じなかった。元嘉17年(440年)7月、病が重くなり、顕陽殿で崩御した。享年は36。諡は元皇后といった。9月、長寧陵に葬られた。 脚注
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