司馬茂英
司馬 茂英(しば ぼうえい)は、南朝宋の少帝劉義符の皇后。本貫は河内郡温県。 経歴東晋の恭帝司馬徳文と恭思皇后の娘として生まれ、海塩公主に封じられた。劉裕が宋公に封じられた後、彼の長男である劉義符に嫁いだ。夫より13歳年上であった。 永初元年(420年)、宋の成立に伴い劉義符が皇太子に立てられると、皇太子妃となった。 永初3年(422年)、少帝が即位すると、皇后に立てられた。 元嘉元年(424年)、少帝の廃位により営陽王妃に降格され、さらに南豊王太妃となった。 元嘉16年(439年)、死去した。享年は47。 伝記資料 |