蠣崎 舜広(かきざき としひろ)は、戦国時代の武士。
天文8年(1539年)、蝦夷地の戦国大名・蠣崎季広の嫡男として誕生。幼名は彦太郎。のちに元服し、蠣崎宮内舜広[1]と名乗る。父からは将来を嘱望され後継者に指名されていたが、永禄4年(1561年)に南条広継の正室となっていた姉に毒殺されたという。享年23。