蘇我善徳
蘇我 善徳(そが の ぜんとこ)は、飛鳥時代の豪族。蘇我馬子の長男。飛鳥寺(法興寺)の初代寺司(てらのつかさ、司長)。 経歴『日本書紀』巻第22には「推古四年冬十一月 法興寺造竟 則以大臣男善徳臣拝寺司 是日恵慈 恵聡二僧 始住於法興寺(冬十一月、法興寺 造り竟(おは)りぬ。則(すなは)ち大臣の男 善徳臣を以て寺司に拝す。是の日に、恵慈 、恵聡、二の僧、始めて法興寺に住り。)」とある。 『日本書紀』巻第22,推古天皇18年(610年)の記事に現れる蘇我蝦夷の年齢は、『扶桑略記』の記述によると25歳となり、推古天皇4年(596年)における蝦夷の年齢は11歳となることから、善徳が蝦夷の兄と推定されている[1]。 系譜登場作品脚注 |