藤見嶽虎之助
藤見嶽 虎之助(ふじみだけ とらのすけ、1878年6月18日 - 1923年7月15日)は、現在の福島県二本松市出身で藤島部屋、尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は神田 久助。7代藤島。165cm、71kg。最高位は西前頭3枚目。 経歴魚店に奉公するも相撲好きで年寄藤島甚助に勧誘され[1]、1895年入門。1895年5月序ノ口、藤島部屋は稽古場がなく、出稽古として尾車部屋に通い当時幕下だったのちの大関・荒岩の指導を受け、1901年1月十両昇進。1904年1月入幕を果たす。1901年5月、1904年1月に太刀山峯右エ門と、1905年5月に大砲万右エ門と引き分けている。藤見嶽の取り口を大関朝汐は「力士の中でも藤見嶽くらい相撲上手な者はいない。相撲具合の良いこと、出足といい逃足といい、おまけに柔らか身などは言い様がないほど巧い。」と称賛していた[1]。すでに二枚鑑札であったが、1910年6月に引退し親方業に専念した。1923年、風邪から胸を冒され45歳で死去。 成績
場所別成績
改名歴出典
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