藤本貢壽
藤本 貢壽(ふじもと こうじゅ、1957年3月15日 - )は北海道出身の元サッカー選手・指導者。現役時代のポジションはフォワード。現在SC相模原で活躍する元日本代表の藤本淳吾は実子。 来歴1975年に日本鋼管に入社。現役時代は椎間板ヘルニアに見舞われたことなどもあり、主だった活躍は出来なかったが、1980年のJSL杯では、決勝で2ゴールを挙げるなど、チームの初優勝に貢献した[1]。 1981年の天皇杯では初優勝してJFL1部に復帰した。 引退後はチームの運営委員などを経て、日本サッカー協会のプロ化検討委員会のメンバーを務めた[1]。 1999年からは横浜栄FCにてアシスタントコーチを6年間務め、Jリーグで活躍している内藤洋平選手、村上巧選手を育成した。 2013年からはJFLのマッチコミッショナーを務めた。 2015年からはJリーグのマッチコミッショナーを務めている。 2022年からはWEリーグのマッチコミッショナーを務めている。 所属クラブ
個人成績
脚注 |