藤島誠剛
藤島 誠剛(ふじしま せいごう、1969年10月3日 - )は、山口県岩国市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。 来歴岩陽高では高校通算68本塁打を放つなど活躍。これは同期の鈴木健に次ぐ当時の2位の記録であった。 1987年のプロ野球ドラフト会議において、日本ハムファイターズから3位指名を受け入団した。 1992年は、一軍にプロ入り初出場を開幕スタメンで果たす。 1994年にイースタン・リーグで打率.318(首位打者)、少ない打席ながらも19本塁打(2位)、60打点(3位)を記録するが、一軍では1安打しか打てず、後半は二軍暮らしだった。 1995年は、4月2日にプロ入り初本塁打を記録するなど、8月末まで一軍に帯同した[1]。 1996年は、一軍では16打数0安打で、通算打率が1割を切るようになった(153打数15安打、打率.098)。二軍では10本塁打を放つ[2]。 1997年は4月22日の対福岡ダイエーホークス戦(東京ドーム)で1点を追う9回二死一塁の打席でホセ・ヌーニェスから逆転サヨナラ2点本塁打を放った[3]。 1999年には満塁本塁打を2本放つなど、一軍で活躍した時期もあった。また、同年9月25日の福岡ダイエーホークス初優勝決定時の最終打者であり、三振を喫している。 2002年はオープン戦の首位打者となり、開幕スタメンとなった。4月22日の大阪近鉄バファローズ戦では2本塁打8打点と活躍した。 2003年にはイースタン・リーグ史上3人目の100本塁打を記録する[4](最終的に108本塁打)。 2004年5月29日、イースタン・リーグの西武ライオンズ戦でファーム通算100本塁打を達成した。同年オフに球団から戦力外通告を受け、17年間の現役生活を終えた。 引退後はタクシー運転手に転職し、その後不動産コンサルティング会社勤務を経てジーレップス·パートナーズ株式会社の取締役を務めているが、2023年2月現在、法人としての登録は存在するものの会社のホームページやリンクが確認できない。 2023年シーズンから応援歌が今川優馬に流用されている。 選手としての特徴・人物目を見張るパワーを備えているが[5]、好不調の波が大きかった[6]。 ニックネームは「ジャイアン」[7]。容貌が『ドラえもん』のジャイアンに似ているということからその愛称が付いた(このことは、日外アソシエーツから発行していた「プロ野球人名事典」にも取り上げられた)。 詳細情報年度別打撃成績
表彰
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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