藤堂高堅
藤堂 高堅(とうどう たかかた)は、江戸時代中期の大名。伊勢久居藩の第2代藩主。久居藩藤堂家2代。久居陣屋の主。 生涯慶安3年(1650年)2月14日、伊勢津藩主・藤堂高次の四男として生まれる。藤堂高虎の孫に当たる。幼名は正次郎、通称は図書。 寛文9年(1669年)9月29日、兄の高久から伊勢国安濃郡内3000石を分与されて、寄合に所属する旗本となる。同年10月23日、将軍徳川家綱に御目見する。元禄10年(1697年)10月5日、兄の久居藩初代藩主・高通が死去したとき、三男の高敏が幼少だったため、高敏が成長するまでの間の代つなぎとして跡を継ぐこととなった。このとき、自分が領していた3000石を合わせて久居藩は5万3000石となる。しかし後に高敏が本家の津藩主を継いだため、そのまま久居藩主として留任することとなった。同年10月15日、将軍徳川綱吉に御目見する。同年12月15日、従五位下・備前守に叙任する。 元禄10年(1697年)に江戸本所倉庫の防火使、元禄11年(1698年)に浅草倉庫の防火使になる。しかし元禄16年(1703年)、正徳3年(1713年)に江戸屋敷が焼失している。正徳5年(1715年)6月14日に江戸で死去した。享年66。 系譜父母 側室
子女
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