藤原季経
藤原 季経(ふじわら の すえつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公家・歌人。藤原北家末茂流、左京大夫・藤原顕輔の子。官位は正三位・宮内卿。 略歴久安2年(1146年)従五位下に叙爵。のち山城守・中務権少輔・中宮亮・宮内卿を歴任し、文治5年(1189年)従三位に叙せられ公卿に列す。建久9年(1198年)正三位。 同母兄である重家と共に、父・顕輔の寵愛を受けたとされる。「千五百番歌合」等の判者となり、藤原定家と対立した事で知られている。建仁元年(1201年)12月15日、出家。法名は蓮経。 勅撰歌人として、『千載和歌集』(5首)以下の勅撰和歌集に21首が入集[1]。家集に『季経入道集』がある。 系譜脚注
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