藤井貫一
藤井 貫一(ふじい かんいち、1887年(明治20年)1月3日[1] - 1975年(昭和50年)3月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人、伊丹市長。最終階級は陸軍少将。 経歴1887年(明治20年)に新潟県で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期[1]、陸軍大学校第32期卒業卒業[2]。1931年(昭和6年)3月に台湾軍司令部附となり[3]、台北帝国大学に配属され[3]、1932年(昭和7年)8月に陸軍歩兵大佐に進級[3]。1933年(昭和8年)8月に歩兵第36連隊長に転じ[3]、1936年(昭和11年)3月7日に神戸連隊区司令官に着任[3]。 同年12月1日に陸軍少将進級と同時に対馬要塞司令官に就任[1][3]。1938年(昭和13年)7月15日に待命[1]、7月27日に予備役に編入された[1]。1944年(昭和19年)8月7日に伊丹市長に就任し[4]、1945年(昭和20年)10月30日まで務めた[4][5]。その後、公職追放となった[6]。 脚注参考文献
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