藤井誠暢藤井 誠暢(ふじい とものぶ、1980年12月17日 - )は、岐阜県出身のレーシングドライバー。 プロフィール
元NISMO契約ドライバーで、師匠は影山正美。少年時代には新聞配達でレーシングカートの活動資金を稼いだ苦労人でもある。SUPER GT等の国内トップレースで活動する以外に、NISSAN GT-R Racing Schoolの講師や、Porsche Sport Driving School、PILOTA FERRARIの日本人認定インストラクターにも選出される等、自動車メーカーからも高い評価を得ている。 レース歴1994年にレーシングカートでレースデビュー。2000年にFJ富士シリーズで4輪レースデビューを果たし、FJ日本一決定戦で3位という成績を残した。2001年は資金不足で活動を休止するが、2002年はF4関東シリーズに参戦。2勝を挙げシリーズ2位となりMVP賞とLIAN戸田スカラシップを獲得。翌2003年はスカラシップ支援を受けフォーミュラドリームに参戦。2004年は同シリーズ4位となった。 2005年よりSUPER GTへステップアップを果たし、GT300クラスへMOLAより日産・フェアレディZで参戦。日産の若手ドライバーとして活躍した。 2006年はSUPER GT・GT300クラスへENDLESS SPORTSよりフェアレディZで参戦。ベテラン影山正美のパートナーに選出され、3度の表彰台に登る成績でシリーズ4位となった。また、十勝24時間レースにENDLESS SPORTSより参戦、初の24時間レースで総合2位を獲得した。 2007年はSUPER GT・GT300クラスへENDLESS SPORTSよりフェアレディZで参戦。開幕戦(鈴鹿)でポールtoウィンを飾りSUPER GT初優勝を獲得した。その後も安定した成績を残し同シリーズ5位となった。また、スーパー耐久・ST-1クラスへENDLESS SPORTSより参戦。7戦中5勝を飾りフェアレディZのST-1クラス初となるチャンピオンを獲得した。全日本スポーツカー耐久選手権(Japan Le Mans Challenge)・LMGT-1クラスには一ツ山レーシングから参戦し、フェラーリ・550マラネロを駆り4戦全勝でチャンピオンを獲得した。同シリーズには2006年にもLMP-2クラスへ参戦しチャンピオンを獲得していることから2年連続のタイトル獲得となった。 2008年はSUPER GT・GT300クラスへTEAM DAISHINから参戦。第5戦(SUGO)では最後尾から驚異の21台抜きで2位表彰台に登った。その後も、第8戦(オートポリス)で独走優勝を飾り同シリーズ5位となる。また、スーパー耐久・ST-1クラスは、ENDLESS SPORTSより参戦。7戦中6戦で表彰台へ登る安定した成績で同シリーズ3位を獲得した。 2009年はSUPER GT・GT300クラスへ参戦。SUPER GTでは初となるFIA-GT2仕様のフェラーリ・F430GTを駆り、全9戦中6回のフロントロー(ポールポジション3回、2位3回)を獲得した。第7戦(富士)では最終ラップの最終コーナーまで続いたフェラーリ同士の激しいバトルを制し優勝を飾った。第9戦(もてぎ)ではポールトゥーウィンで優勝を飾り、シリーズ最多の2勝目を達成、同シリーズ4位を獲得した。また、スーパー耐久・ST-1クラスへテクノファーストより参戦、同シリーズ4位を獲得。 2010年はTEAM DAISHINの活動休止によりSUPER GT第3戦富士にHANKOOK KTRの第3ドライバーとして参戦。その走りが評価され、木下みつひろとドライバー交代するかたちで第6戦以降は同チームより参戦。JAF Grand Prix FUJI SPRINT CUPで3位表彰台を獲得した。また、スーパー耐久・ST-3クラスにテクノファーストよりフェアレディZ(Z34)の開発ドライバーとして参戦。デビュー戦で優勝を飾った。 2011年はSUPER GT・GT300クラスへHANKOOK KTRより参戦。FIA-GT3車両のポルシェ・911GT3Rを駆り、開幕戦の富士で優勝を達成。その後も第6戦の鈴鹿、最終戦のもてぎで2位表彰台を獲得しハンコックタイヤの過去最上位となるシリーズランキング3位を獲得した。また、JAF Grand Prix FUJI SPRINT CUPでは最終ラップの最終コーナーまで谷口信輝とトップ争いを展開。2位に留まったが多くのGTファンの記憶に残る名バトルとなった。その他、スーパー耐久へはST-X(現GT3)クラスへ一ツ山レーシングから参戦。最新型のFIA-GT3車両であるアウディ・R8 LMSを駆り、3勝を達成、初代シリーズチャンピオンを獲得した。11月にはマカオグランプリ「Macau GT Cup」へ香港を拠点とするCraft Eurasia Racingよりアストンマーティン・DBRS9 GT3を駆り参戦。初出場で5位入賞を果たした。 2012年はSUPER GT・GT300クラスへHANKOOK KTRより参戦。ポルシェ・911GT3Rを駆り、全8戦中5回のフロントロー(ポールポジション3回、2位2回)を獲得。第3戦のセパン、第6戦の富士で優勝を飾り、シリーズランキング2位を獲得。前年の成績を上回る活躍を魅せた。また、JAF Grand Prix FUJI SPRINT CUPでは、ポールトゥーウィンで優勝を達成、同時に3年連続の表彰台を獲得した唯一のドライバーなった。その他、スーパー耐久・GT3クラスへ近藤真彦がオーナー兼監督を務めるKONDO Racingより参戦。国内メーカー初となるFIA-GT3車両の日産・GT-R NISMO GT3を駆り、日産自動車大学校の学生と共に第4戦の岡山で優勝を達成した。 2013年はSUPER GT・GT300クラスへHANKOOK KTRより、ポルシェ・911GT3Rを駆り参戦している。その他、1月に中東ドバイ・オートドロームで開催されたドバイ24時間レースにアストンマーティンのセミワークスチームであるCraft Racing AMRよりワークスドライバーのダレン・ターナーやステファン・ミュッケらと参戦。初参戦で3位表彰台を獲得した。 2014年から2016年はSUPER GT・GT300クラスへアウディジャパンのSUPER GTプログラムであるAudi Team Hitotsuymaより参戦。2016年の第3戦(代替戦)のもてぎではチームと新型アウディ・R8をSUPER GTでの初優勝へと導き、FIA-GT3車両のトップであるシリーズ3位を獲得した。 2015年はSUPER GT・GT300クラスやスーパー耐久などの国内レース以外に、世界3大耐久レースの一つでもあるデイトナ24時間レース(アメリカ・フロリダ)へアメリカの名門チームであるFlying Lizard Motorsportsよりアウディ・R8 LMSで参戦し10位入賞を果たした。また、同年12月にはToyo TiresとFlying Lizard Motorsportsのタイヤ開発プログラムのデビューレースであるサンダーヒル25時間レース(アメリカ・カリフォルニア)では総合優勝も果たしている。 2016年は、2012年よりNISMO契約ドライバーとして継続的に参戦を続けているスーパー耐久・ST-Xクラスで、近藤真彦 監督の率いるKONDO Racingと日産自動車大学校の学生共同プロジェクトにとって初となる念願のシリーズチャンピオンを、全6戦中4勝と全戦で表彰台に登る圧倒的な強さで獲得した。 2017年はSUPER GT・GT300クラスへD‘station Racingのドライバー兼マネージングディレクターとしてポルシェ・911GT3R(991型)で参戦。総監督には元メジャーリーガーの“大魔神”こと佐々木主浩が就任して注目を集める中、新チームの参戦初年度で8戦中7戦で入賞、計2回の表彰台に登る活躍でシリーズ7位を獲得した。また、2017年第2戦にてSUPER GT参戦100戦目を迎え「SUPER GTグレーテッドドライバー」としても表彰された。2005年~2017年のSUPER GT出場回数は106回、優勝回数:9回、表彰台数:25回、優勝率:8.49%、表彰台率:23.58%を記録している。 2020年限りで日産とのドライバー契約を双方合意の上で解除し、2021年以降はD‘station Racingでのドライバー活動およびチーム運営に専念している。 レース戦績
SUPER GTFIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
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