トトラ 葦の小型漁船。ペルー 北西のワンチャコ(Huanchaco )の浜辺
葦船 (あしぶね)や草いかだ (くさいかだ)は、丸木舟 や他のいかだ などとともに、最も古くから知られている船のひとつである。伝統的漁船 (英語版 ) としてよく使われてきたが、その大半は板張りの船に取って代わられた。しかし今でも使われている地域もいくらかはある。葦船は通常、何らかのタールで防水されているため、葦船と草いかだは区別できる[ 1] 。小舟やいかだだけでなく、小さな浮島 も葦で作ることができる。
いままで発見された中で最古の葦船の遺物は7000年前のもので、クウェート で発見された。葦船は初期のペトログリフ (岩面彫刻)にも描かれており、古代エジプトでは一般的だった。有名な例は、赤ん坊のモーセ を入れるのに使われた「パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗っ」たものである(Ark of bulrushes )。また、ペルー とボリビア でも早くから作られており、非常に類似したデザインの船はイースター島 でも発見された。葦船は今でもペルー、ボリビア、エチオピア などで使われており、最近までケルキラ島 でも使用されていた。ノルウェーの人類学者 で冒険家のトール・ヘイエルダール の探険航海と研究により、葦船の構造と能力についての理解が深まった。
歴史
葦船と人間のペトログリフ 。世界遺産「ゴブスタンの岩絵の文化的景観」の一部。アゼルバイジャン
古代エジプトでのパピルス船の製作。エジプトのアブ・グロブにあるニウセルラー・イニの太陽神殿の壁の断片の一部。紀元前2430年頃。新博物館 所蔵
右の画像は葦船と人間のペトログリフ である。葦船はスカンジナビア の洞窟壁画に描かれているものと似ており、トール・ヘイエルダールはスカンジナビア人が今日のアゼルバイジャン に相当する地域から来たと結論した。ゴブスタン国立保護区 には、12,000年前にこれらの洞窟に住んでいた狩猟採集民 によって彫られた6,000以上のペトログリフがある。当時、カスピ海の湖面 は今よりもはるかに高く、丘の低い岩に打ち寄せていた。
また、エジプトのキフト (コプトス)にあるワディ・ハンママート(Wadi Hammamat )には、紀元前4000年のエジプトの葦船の絵がある[ 2]
古代エジプトではパピルス で葦船を作った
今まで発見された中で最古の葦(とタール)で作られた船の遺物は、クウェートのファイラカ島 で見つかった7000年前の航海用ボートのものである[ 3] 。
古代のエジプト人は、ナイル川 とデルタ で広く栽培されていたパピルス(カミガヤツリ) から船を作っていた。この葦は、他にも多くの目的、特にパピルス紙を作るためにも使用された[ 4] 。カヤツリグサ属 の他の葦も同様に使用された可能性がある[ 4] 。テオプラストス は著書「植物の歴史(Historia Plantarum )」[ 5] で、オデュッセウス が帰宅後に、妻 への求婚者 たちを殺害した際、彼らの退路を断つため、アンティゴノス王の船から持ち出された索具で扉を固定していた[ 6] が、その索具はパピルスから作られていたと述べている[ 4] 。ナイル川の航行に適した軽い小船は、パピルスを切っている姿を描いた第4王朝 のレリーフ に示されているように、パピルスの茎で作られ、それを使って索具 や帆 を作り、葦船を作った[ 4] 。
聖書 によれば、ファラオ がすべてのヘブライ人の男性を殺すための布告を出したとき、赤ん坊のモーセ は母親によって救われた。母親が彼をナイル川に隠す際に[ 7] 、パピルスで作られたかご(小船)が使われた[ 4] 。また、預言者イザヤ は、イザヤ書18:2 でエチオピアの葦の船について言及している。
トール・ヘイエルダール
葦船ラーII号
近代的な意味では、ノルウェーの人類学者で冒険家のトール・ヘイエルダール (1914年-2002年)の冒険航海と研究により、葦船の構造と能力がよりよく理解されるようになった。
ヘイエルダールは、古代の地中海やアフリカの人々がカナリア海流 に乗って航海して、大西洋 を横断して、南北アメリカに到達した可能性があることを実証したいと考えていた。1969年、ヘイエルダールは古代エジプトの太陽神にちなんで「ラー 」と名付けた葦船を建造した。その設計は古代エジプトのモデルと図面に基づいていた。船はチャド共和国 のチャド湖 から招請した船大工によって建造された。原料のパピルス の茎はエチオピア のタナ湖 のものを使った。モロッコ 海岸(サフィ 市)から大西洋を横断しようとして出航した。数週間後、設計ミスと舵の喪失により、「ラー」の船体は大きく浸水していた。最終的に「ラー」は放棄された[ 8] 。
翌年、ヘイエルダールは新しい船、「ラーII号 」で再挑戦した。今回はボリビア のチチカカ湖 の船大工が建造した。再び、船はモロッコから出航し、今回は成功してバルバドス に到着した[ 9] 。
1978年、ヘイエルダールは3番目の葦船である「ティグリス 」を建造した。この船の建造目的は、メソポタミア とインダス文明 が、貿易と移住を通じて結びついていた可能性の実証だった。「ティグリス」はイラクで建造され、ペルシア湾 を航海して、インダス文明のあったパキスタンを経由して、最終的には紅海 にまで入った。船は5ヶ月間耐航性のある状態で海にとどまった。その後、アフリカの角で激化していた地域紛争 への抗議として、「ティグリス」はジブチ の海上で燃やされた[ 10] 。
チチカカ湖の葦船
ウル人のこの頑丈な葦船は20人以上を収容することができる
トトラ 葦は南アメリカ 、特にチチカカ湖 周辺、そしてイースター島 でも育つ。これらの葦は、コロンブス以前 の南米 のさまざまな文明で葦船を造るために使用されてきた。「バルサ」と呼ばれる船は、小型の釣り用カヌーから30メートル長までさまざまな大きさの物がある。それらは、海抜3810メートルのペルー ・ボリビア 国境にあるチチカカ湖 で今でも使用されている[ 11] 。
ウル族 (英語版 ) (ウル人、ウロス人)はインカ文明 以前の先住民である。彼らは今でも、チチカカ湖 に点在する人工の浮島 に住んでいる。これらの島々もトトラ葦でできている[ 12] 。それぞれの浮島に、同じく葦でできた3 - 10軒の家が建っている[ 11] 。ウル族は今でもトトラ葦船を造っており、釣りや水鳥狩りに使用している
チチカカ湖のボリビア側の町であるスリキ島 の葦船職人は、トール・ヘイエルダール が「ラー2号」と「ティグリス」を建造するのを助けた。トール・ヘイエルダールは、チチカカ湖の葦船がエジプトのパピルス船に由来することを証明しようとした。
チチカカ湖の南東岸近くには、古代都市国家ティワナク 遺跡がある。ティワナクの遺跡からは、当時の卓越した石材加工技術 の存在がうかがえる[ 14] 。精巧な彫刻やモノリスを作成するために使用された緑色の安山岩 は、チチカカ湖の対岸にあるコパカバーナ (英語版 ) 半島に由来すると見られる[ 15] 。一つの理論として、40トン以上の重さのこれらの巨大な安山岩石は、葦船に載せられてチチカカ湖上を約90キロメートル輸送された可能性がある[ 16] 。
チチカカ湖 で
トトラ を収穫するウル人。これは伝統的に
葦船 を作るために使用されてきた
トトラ葦でできた船を引くウル人の男性
葦船で働くウル人の姿
イースター島 でもトトラ葦を使って葦船が建造された。興味深いことに、この船のデザインは、ペルーで使用されている物とよく一致している[ 17] 。
日本神話における「葦船」
日本における文献資料で「葦船」の最古の例は古事記 の国産み 神話で、イザナミ とイザナギ の間に生まれたヒルコ
の処遇に登場する。
《原文》興而生子水蛭子此子者入葦船而流去 古事記(上巻)
《書き下し文》興して生める子は水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき
この「葦船」が文字通りに葦で作った船だったかの解釈には異同がある。たとえば日本書紀纂疏 においては、
葦船ハ葦一ヲ以テ船トナリ [ 18]
とあり、あたかも葦一本をとってそれを船にしたかのごとく解している[ 19] 。本居宣長 はこの部分について、「さも有りなむ。」と裏書きした後、「また、葦を多く集めて、からみ作りたるにてもあるべし。」と記して、先人の説を正面切って否定はしないが、実際は物理的に作られた葦船だったともしている[ 20] 。
吉田東伍は「葦舟はけだし竹筏にして」「葦船の葦はイカタの料にして、竹と同しかるべし」としており、船材としての葦とは竹のことだとしている[ 21] 。西村眞次 はこれについて、「難波の葦は伊勢の浜荻[ 22] 」というように一般に植物名の使い分けが厳密を欠く場合があるのは確かにしても、記紀は竹と葦は識別して記しているため、やはり葦は葦だと解すべきとしている[ 23] 。西村眞次はつづけて松村任三 の言葉として、昔の日本では海辺や川岸に葦が非常に多く産していたことを紹介し、それを受けて、資源として得やすく加工しやすかった葦は、初期の歴史においては木材より多く船材として利用されていたのではないかと結論している[ 24] 。なお、笠井新也 は国産み神話に関連して、「当時産後の不潔物等も、葦などに包んで流し捨てるという風習のあった事が想像出来る」としており、葦の使用を認めている[ 25] 。
国産み神話以外では、南波松太郎が、神武東征 において、速吸門 で遭遇した珍彦(うづひこ) が乗っていた亀甲 を葦船としている[ 26] 。
その他の例
関連項目
脚注
^ McGrail S (1985) Towards a classification of Water transport World Archeology , 16 (3).
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参考文献
外部リンク
World of Boats (EISCA) Collection ~ Vietnamese Basket Boat
Papyrus reed boat or "tankwa", Lake Tana by Majestic Moose. Flikr, April 2008, retrieved March 26, 2010
Gobustan from "Window to Baku"
The Rock Engravings of Gobustan
Porfirio Limachi, reed ship builder
The Viracocha Expedition , construction photo
Tule Boat Photo Gallery
Tule reed canoe , Ohlone , launched on Lake Merced, San Francisco
Tule reed canoe , Modoc