芬皇寺模塼石塔
芬皇寺模塼石塔(ふんこうじ もせんせきとう、ハングル: 분황사 모전석탑〈プナンサ モジョンソクタプ〉)は、韓国、慶尚北道慶州市九黄洞の芬皇寺にある新羅時代(7世紀)の模塼石塔である。1962年12月20日、大韓民国国宝第30号に[1]芬皇寺石塔(ハングル: 분황사 석탑)として指定され[2]、現在は慶州芬皇寺模塼石塔(ハングル: 경주 분황사 모전석탑)と称される[1]。2000年11月、慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル: 경주역사유적지구)として国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録された皇龍寺地区の遺跡の1つである[3]。 歴史石塔が建立された年代は、芬皇寺の創建当初の善徳女王3年(634年)と考えられる。今日に残存する新羅の石塔のなかでも最も古いもので[4]、中国の塼(せん〈煉瓦〉)の仏塔を模して[5]、安山岩を煉瓦状に整えて積み上げた模塼石塔(模塼塔)であり[6]、慶州に現存する唯一のものである[7]。現在の塔は3層となるが、元来の規模は明らかではない。史料によれば9層の塔であったとも伝わるが、皇龍寺九層塔(木塔)[8]との混同が考えられる。また、7層もしくは5層とも唱えられるものの本来の形は未詳である[9]。 13世紀のモンゴルの高麗侵攻[10]、それに壬辰倭乱(文禄の役、1592年)において半ば破壊された後、史料によると、知識のない僧(愚僧)が改築を試みた結果さらに損壊したとされる[11]。その後、1915年に朝鮮総督府が修理した際、2層と3層の間より見つかった舎利函(しゃりかん、ハングル: 사리함〈サリハム〉、石函[12])が取り出され、函内より玉・銅製鋏・銀製針筒・金製針・金製鈴・金属製糸巻・香木[12]・貝(イモガイ)などのほか、銀製盒(ごう)とともに高麗(918-1392年)以降の古銭(銅銭)が発見されたことから、後の高麗時代に再び納められたと考えられ[13]、塔の改築が示唆される[14]。現在の塔は、1915年に日本人の手で修築されたもので3層の形で残存する[12]。 構成現在の模塼石塔は、高さ9.3メートル。基壇は一辺約13メートル(東西13m、南北13.2m[15])、高さ約1.06メートルで、割石を積み上げて築かれ、塔身の底部まで約0.36メートル高く傾斜する[6]。基壇の四隅にはそれぞれ花崗岩の獅子像が配置されている。基壇中央に備えた花崗岩の台石上に、一辺約6.6メートル (6.5m[15]) 、高さ約4メートルとなる第1層塔身が[16]、灰黒色の安山岩を塼(煉瓦)状にした長径30-45センチメートル、厚さ4.5-9センチメートルの石材で構築され[15]、上方に第2・3層が幅を狭めながら積み重なる[1]。 第1層塔身の四面に龕室(がんしつ)があり、入口に備えられた石扉の両側に、花崗岩による金剛力士(仁王)像が配置される[16][17]。彫像は8体すべてが残存し、建立された7世紀前半の古新羅(三国時代新羅)時代の様式を呈している[6][18]。龕室には今日石仏があるが、本来はなく、後年に安置されたものである[17]。 脚注
参考文献
関連項目 |
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