船越作一郎船越 作一郎[1](ふなこし さくいちろう[2]、1885年(明治18年)9月20日[3][4] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者[5][6][7]、地主。船越合名会社社主[1]。日本クローム工業社長[3][6][7][8]。 経歴鳥取県米子市出身[3]。船越熊治郎の長男[6][7][8]。1909年、家督を相続する[6][7][8]。1907年、早稲田大学専門部政経科を卒業[9]。鉱山業に従事[2][3]。 1915年、鳥取県議に当選し、少壯團を組織[1][3]。1925年9月に鳥取県立米子工業学校建築費金1千円を寄附したため1928年8月14日に褒状が下賜される[10]。1927年、米子市議に当選[3]。 人物船越作一郎について、『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』には「職業・貸金、調査年月・1932年11月、正身身代・N、信用程度・C」とある[11]。 『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』には「職業・貸金、調査年月・1936年10月、正身身代・J◎、信用程度・A」とある[12]。 『西伯之資力 大正11年10月調』によると、地価金額は「5956円6銭」、所得税は「777円36銭」である[13]。 『陰陽八郡郡勢一斑』によると、船越の人柄は「資性活達、荘重明敏で、義気に富む」という[1]。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[4]。宗教は日蓮宗[2][3]。住所は米子市紺屋町[6][7][9]。 家族・親族
脚注
参考文献
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