船尾修船尾 修(ふなお おさむ、1960年9月8日 - )は、日本の写真家。 人物・来歴兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立舞子高等学校、筑波大学第二学群生物学類を卒業[1]後、いくつかの出版社で編集の仕事に携わる。大学時代に所属していた自然探検部で登山の基礎を学び、その後、社会人山岳会の雲表俱楽部で先鋭的なクライミングに没頭する。国内では、谷川岳衝立岩正面壁不思議ロード冬季初登攀、剣岳剣尾根の厳冬期初登攀(冬期第2登)、伊豆・海金剛のヴァガブンドルート開拓[2]などの記録がある。海外では、ケニア山アイスウィンドゥルート、ヨーロッパアルプスのグランドジョラス北壁ウォーカー側稜、モンブラン・フレネイ中央岩稜、ヨセミテの大岩壁エルキャピタンではザ・シールドなどの登攀に成功している。また登頂はしていないがパキスタンのティリッチミール峰とガッシャ―ブルムⅠ峰への遠征登山の記録もある[3]。 そのいっぽうで、初めて訪れた海外がキリマンジャロ山登山のためのケニアとタンザニアだったこともあり、アフリカの多様な自然と民俗に魅了されて1986年〜1988年、1993年〜1996年に長期間のバックパッカー旅に出る。旅の最中に写真の持つ力と可能性に目覚め、以降はフリーランスの写真家としての活動を模索していくことになる。コンゴ民主共和国の密林に暮らす狩猟採集民ムブティ・ピグミー[4]、エチオピア南部に暮らす牧畜民ハマル[5]の取材では、長期間彼らと生活を共にしながら撮影を行った。 2001年に東京から大分県へ移住して以来、国東半島で継承されている古い祭礼行事や神仏習合の六郷満山仏教文化の撮影を続けている。その作品集『カミサマホトケサマ』(冬青社)が評価されて、さがみはら写真新人奨励賞を受賞[6]。「半農半写」を掲げて、無農薬で米や野菜をつくるなど[7]自給自足での暮らしを目指しながら、ドキュメンタリー写真による作家活動を行っている。その一例として、世界有数の大河インダス流域のランドスケープや民族の撮影、カラコルム山脈の踏破、日本人の心の原風景をアジア各地に求める旅などがある。また2005年に起きたパキスタン北部大地震ではいち早く現地入りして壊滅的な被害を受けた地域を精力的に取材した。その際に出会った多くの震災孤児の存在に胸を痛め、翌2006年にNGOウジャマー・ジャパンを立ち上げて以降11年間にわたって児童の就学をサポートしてきた[8]。 世界遺産にも登録されているフィリピン・ルソン島北部のコルディエーラ山地の棚田を撮影するために訪れた際、フィリピンへ戦前に移民した日本人の子孫との出会いがあり、その後の日系人取材へとつながっていく。それをまとめた写真集『フィリピン残留日本人』(冬青社)で、林忠彦賞、さがみはら写真賞をW受賞[9][10]。さらに、新設されたばかりの江成常夫賞も受賞した[11]。太平洋戦争が起きた過程に興味を持った船尾はその後、中国東北部を訪れ、かつてその地に存在した満洲国時代の建築物が多数残存していることに衝撃を受け、撮影に取り掛かることになった。その作品集『満洲国の近代建築遺産』(集広舎)は大きな反響を呼び、土門拳賞を受賞した[12]。 30年近くにわたり取材してきた大河インダス流域の風土・歴史・民俗をまとめた紀行文『大インダス世界への旅』(彩流社)で、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞した[13]。それぞれの作品は雑誌やウエブメディアへの執筆[14][15][16]の他、写真集の制作や写真展の開催[17][18]などで発表している。元大分県立芸術文化短期大学非常勤講師[19]。 受賞歴
写真集・著書
テレビ出演
Youtube動画等出演
出典
外部リンク
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