老人福祉法
老人福祉法(ろうじんふくしほう、英語: Act on Social Welfare for the Elderly[1])は、老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、老人に対し、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ、もって老人の福祉を図ることを目的として制定された法律である。社会福祉六法の1つ。1963年7月11日に公布された。 1972年(昭和47年)6月16日に、「老人福祉法」が一部改正(1973年(昭和48年)1月施行)され、70歳以上の老人保健費の公費負担(老人医療費無料化)が行われた。 1982年(昭和57年)8月17日に「老人保健法」が公布(1983年(昭和58年)2月施行)され、老人医療費無料化が廃止された。 構成
制定と廃止の背景革新派による推進・自民党への世論圧力岩手県の沢内村(現:西和賀町)は「高齢者医療費無償」を予防と健康管理を前提に行っていた[2]。しかし、 1967年に社共共闘で当選した美濃部達吉都知事など革新自治体は、「支持を集めるための格好の材料」として、老人医療費無料化(高齢者医療費無償化)を行った[3][2]。日本政府や自民党は「枯れ木に水をやるようなものだ」と批判し[4]、大蔵省や厚生省なども財政上持続不可能であり、「病室が患者であふれる」と反対していた[5]。しかし、1971年の総理府が実施した「老人問題に関する世論調査」における「老人の生活と健康を守るために国の施策として一番力をいれてもらいたい」中でも、老人医療費無料化が44%で1位の世論となっていた[6]。日本政府(自民党)も地方選挙での議席減といった国民世論に危機感を抱き[3][6][7]、1972年2月2日時点で37都道府県と6政令市で老人医療費無料化が実施されていた[3]。革新自治体の躍進に対抗しようとする田中角栄内閣は改正老人福祉法を1972年6月の国会で成立させ、高齢者医療費無償化を全国化させた(翌1973年1月施行)[8][7]。このような流れのため、高齢者医療費無償化は「田中角栄内閣によるバラマキ」というのは誤解である[5]。 老人福祉法に基づいて、全国でも満70歳以上の老人医療費は全額公費負担となり[9]、満70歳以上の自己負担はゼロ(無料)となった[10]。大蔵省の懸念通りに、高齢者医療費無料化の弊害が浮き彫りとなった[5]。予防と健康管理が前提となっていない高齢者医療費無償化は社会的入院[2]、「病院のサロン化」や過剰診療などモラルハザード問題が起き、国民健康保険の財政悪化した。さらに高齢化の進展と医療の高度化も加担した[11][8][12]。病院経営側が高齢者をわざと集め、不必要医療をすることで診療報酬を得る「老人病院」まで登場した[13][14][15]。とある老人病院は、福祉事務所を回って、「不幸な老人」をかき集め、点滴漬けにして機械のように保険点数を稼いでいた[15]。平均在院日数は87日で大多数は死亡退院であり、「昭和の姥捨て山」と称されていた[15]。 老人保健法(1982年)1982年(昭和57年)に、老人保健法が制定された[16][8]。翌1983年から施行されたことで高齢者医療費無償化が軌道修正された。医療機関ごとに外来毎月400円・入院1日300円ずつ2カ月間分のみ支払う「高齢者医療費定額負担制度」が導入された[17][5]。その後も財政の悪化により、現在は高齢者の医療の確保に関する法律、介護保険法が適用されない場合に限り、老人の福祉を行う根拠法律となっている。なお、実施者は市町村である。 →より詳しい説明は高齢者福祉を参照
関連施設サービス在宅福祉ホームヘルプ、ショートステイ、デイサービス、グループホームなど。 但し、適用は介護保険法が優先される。 老人福祉施設→詳細は「老人福祉施設」を参照
高齢者向けの生活施設関連項目
脚注
外部リンク
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