細田忠治郎細田 忠治郎(ほそだ ちゅうじろう、1881年7月14日[1] - 1968年6月10日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 経歴兵庫県出身[2]。1907年、早稲田大学商科卒[2]。農業の傍ら、松井庄村議、多可郡議、同参事会員、兵庫県議、同参事会員、同議長となる[2]。また、松井庄商事(株)専務理事、多可郡工業会長、兵庫県播州織工業組合、工業組合中央会、商工組合中央会各理事、兵庫県織物組合連合会、同県織物統制組合各理事長を歴任した[2]。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で兵庫1区(大選挙区制)から日本自由党公認で立候補して当選[3]。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において兵庫3区から民主党公認で立候補して再選[4]。この間自由党内政部長を務めた[2]。しかし、当選直後に議員辞職した[5]。以後、政界に復帰することはなかった。 このほか商工協同組合中央会兵庫県副支部長、兵庫県中小企業協同組合中央会会長、全国中小企業等協同組合中央会理事、同顧問、神戸地方裁判所調停委員となった[2]。1968年死去。 脚注参考文献
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