岡本松太郎岡本 松太郎(おかもと まつたろう、1860年4月9日(万延元年3月19日[1])- 1942年(昭和17年)11月23日[2][3])は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、兵庫県会議長。 経歴播磨国飾東郡八重畑村[4](兵庫県[3]飾東郡谷内村、飾磨郡谷内村[1][2][5]、飾東村を経て現姫路市[2]飾東町)で、代々農業を営む家に生まれた[1]。普通学を修めた[1]。 1880年(明治13年)小学校教員となり8年間在任[1][2][3][5]。1888年(明治21年)兵庫県会議員に選出され、同常置委員、同副議長、同議長も務めた[1][2][3][5]。その他、徴兵参事員、旅団徴兵参事員なども務めた[1][5]。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(兵庫県第7区、進歩党)で初当選し[1][6]、同年8月の第6回総選挙(兵庫県第7区、憲政本党)でも再選され[1][6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][5]。 脚注参考文献
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