糸川亮太
糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 経歴プロ入り前2人の兄(7歳上と3歳上)の影響で四国中央市立妻鳥小学校1年生のときに『妻鳥ファイターズ』で野球を始め、四国中央市立川之江北中学校では硬式野球の『川之江ボーイズ』に所属[2]。中学3年時はチームのキャプテンとエースを務め、夏には愛媛県選抜に選ばれた[3]。 川之江高校に進学し、1年夏からベンチ入りしたが、結果を残せずにいた[3]。控え投手であった2年夏は愛媛大会準々決勝で敗退し、新チームが始動して間もない頃に友近拓也監督から「変化球ピッチャーになれ」と告げられ、投球スタイルを変更すると、エースに成長[3]。3年春は四国大会決勝まで勝ち進み、高知との決勝には敗れたが[4]、チームは準優勝を果たした。ただ、糸川は県大会後に発症した右肘の違和感で四国大会を欠場し、6月中旬まで投げることができず[3]、3年夏は愛媛大会2回戦で松山聖陵と対戦し、チームはアドゥワ誠に完投を許して1-5で敗れた[5]。甲子園出場経験はなし。 立正大学へ進学し、1年冬にシンカーを覚えると[6]、2年春にリーグ戦デビュー[7]。2年秋のリーグ戦では6試合に登板して2勝1敗・防御率1.98を記録し[8]、チームは18季ぶりに東都1部での優勝を果たした。その後に出場した明治神宮大会でもチームは9年ぶりとなる優勝を果たし[2]、糸川は3試合・13イニングを投げ、3勝・防御率0.69を記録して胴上げ投手となった[8]。 大学卒業後はENEOSに入社し、1年目は結果を残せなかったものの[9]、2年目はミキハウスとの都市対抗2回戦で二大大会デビュー[10]。日本選手権では日本新薬との2回戦で二大大会初先発となり[11]、6回1安打8奪三振無失点と快投した[10]。3年目もチームは都市対抗に出場し、2回戦で敗退したが[12]、糸川の登板機会はなかった。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから7位指名を受けた[13][注 1]。指名後に出場した日本選手権では、TDKとの初戦にリリーフ登板して2回無失点に抑え[15]、三菱自動車岡崎との2回戦では先発し、6回無失点と好投した[16]。ただ、Honda熊本との準々決勝では登板機会がなく、チームは敗退した[17]。11月20日に契約金2000万円・年俸950万円(金額はいずれも推定)で仮契約を結び、背番号は23に決定した[18]。 西武時代2024年、球団の新人選手としては唯一開幕一軍入りを果たした[19]。3月31日、東北楽天ゴールデンイーグルスとの開幕第3戦(楽天モバイルパーク宮城)で延長11回から登板するも、小深田大翔にサヨナラ左犠飛を打たれ、敗戦投手となった[20]。 選手としての特徴独特の軌道を描くシンカーが武器[10]。変化球はその他にカットボール[21]などを投じる。ストレートの最速はアマチュア時代に147km/hを計測している[9]。 詳細情報記録
背番号
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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