粟飯原常世
粟飯原 常世(あいはら つねよ、嘉永3年8月[1]〈1850年〉 - 1919年〈大正8年〉9月24日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲二等功三級[2]。 経歴1872年(明治5年)2月、陸軍少尉に任官[3]。西南戦争では別働狙撃大隊(長:河野通好少佐)の第1中隊長を務め、佐賀県を転戦のち熊本城下守備につく[4]。1891年(明治24年)4月に陸軍歩兵中佐・歩兵第19連隊長に補任され、第3師団・桂太郎中将隷下で日清戦争に出征し、海城攻防戦にて奮戦した[1][3][5]。 その後、1894年(明治27年)11月に陸軍歩兵大佐、1896年(明治29年)9月には本職を免じられ歩兵第14連隊長に補され、翌年の1897年(明治30年)12月に陸軍少将・歩兵第7旅団長に任官する[1][3][6][7]。 1900年(明治33年)3月に休職するが、のち復職し、留守歩兵第20旅団長、そののち後備歩兵第5旅団長となり日露戦争に出征した[1][8]。1905年(明治38年)11月、予備役[1]。 栄典
脚注
参考文献
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