米倉里矩
米倉 里矩(よねくら さとのり)は、江戸時代中期の大名。武蔵国金沢藩2代藩主。六浦藩米倉家5代。 略歴享保18年(1733年)8月6日、初代藩主・米倉忠仰の長男として誕生。母は堀井氏娘(香雲院)。 享保20年(1735年)5月18日、父の死去により家督を継いだ。忠仰の実兄で伯父・柳沢吉里より偏諱を受けて里矩と名乗る。しかし、里矩の年齢を9歳と詐称していたことが判明したため、幕府は重臣らを柳沢吉里に預けるなどの処罰を行った。年齢詐称は、里矩があまりに幼少であったことから、家督相続を幕府に認められないことを恐れたためと考えられる。延享3年(1746年)3月に9代将軍・徳川家重に御目見したが、寛延2年(1749年)3月6日に17歳で死去した。 子が無かったため、養子・昌晴(米倉昌倫の次男)が跡を継いだ。 系譜父母
養子
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