節句節句(せっく)は、伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日である。節供(せっく)、古くは節日(せちにち)とも言われる[1]。 概要この日には、日本の宮廷において節会(せちえ)と呼ばれる宴会が開かれた[2]。節句のうち5つを江戸幕府が公的な行事・祝日として定めた[3]。それが人日、上巳、端午、七夕、重陽の五節句である[3]。
1〜12の数の内での奇数ではなく、1桁の数で奇数となる「1・3・5・7・9」の5つの数字の内の「3・5・7・9」の、月と日で重なる日を選んだので、11月11日は「節句」には入らない。5つの数字にしたのは、五行説に対応させるためともされる。また、1月1日の「元日」は、年の始まりという別格の扱いなので、「五節句」には入らない。代わりに1月7日が「五節句」に入る。 明治維新後もしばらくは実施されていた[註 1]が、改暦の年である1873年(明治6年)1月4日太政官第1号布告「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」によって廃止となった[5]。その後、1948年(昭和23年)7月20日公布・施行の「国民の祝日に関する法律」によって、2024年現在においては端午の節句のみ「こどもの日」の名称で祝日となっている[6]。 「御節供」と呼ばれた節句料理はもともと五節句の祝儀料理すべてをいっていたが、のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになった[2][7]。そして、今日では「おせち」として、正月三が日もしくは七日にかけての松の内の期間において食べるものを指すようになっている[8]。ただ、今日でも人日の節句の七草粥など「節句料理」として残っているものがある[4]。 節句に飾られる人形(雛人形、五月人形など)は、節句人形(せっくにんぎょう)とも称される[9]。 なお、新暦では3月3日・5月5日・7月7日は同じ曜日となる[10]。 ことわざ
脚註出典
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