第8特科連隊(だいはちとっかれんたい、JGSDF 8th Artillery Regiment)は、熊本県熊本市の北熊本駐屯地に駐屯していた、第8師団の隷下の野戦特科部隊である。
当初、26中期防期間中に3個大隊編成へ縮小と計画されていたが、2017年度末をもって部隊廃止された[1]。
沿革
- 1956年(昭和31年)
- 第8混成団編成に伴い、第4特科連隊から分離独立して第8特科連隊が久留米駐屯地において編成完結(3個大隊基幹)。
- 第8特科連隊第3大隊が針尾駐屯地において編成完結。
- 1957年(昭和32年)3月29日:針尾駐屯地から北熊本駐屯地に移駐。
- 1962年(昭和37年)8月15日:第8師団への改編に伴い、第2大隊を第5大隊に、第3大隊(高射特科)を第6大隊に改編。新たに第2、第3大隊を新編。
- 1973年(昭和48年)3月27日:35mm2連装高射機関砲 L-90の配備に伴い、第6大隊(高射特科)を改編。
- 1981年(昭和56年)3月25日:第8師団の甲編成に伴い、第4大隊が新編。
- 1988年(昭和63年)3月25日:部隊改編(新編等)。
- 情報中隊が新編。
- 155mmりゅう弾砲 FH70が装備開始。
- 第3大隊が北熊本駐屯地からえびの駐屯地に移駐。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第8後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援中隊へ移管。
- 西部方面特科連隊・第42即応機動連隊火力支援中隊へ改編のため廃止[1]。
- 連隊本部は第8師団司令部の火力調整部に改組。
部隊編成
廃止時(2018年(平成30年)3月27日)
特記ない限り北熊本駐屯地所在。
- 第8特科連隊本部
- 第8特科連隊本部中隊「8特-本」
- 情報中隊「8特-情」
- 第1特科大隊
- 第1特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-1-本」
- 第1射撃中隊「8特-1-1」
- 第2射撃中隊「8特-1-2」
- 第2特科大隊
- 第2特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-2-本」
- 第3射撃中隊「8特-2-3」
- 第4射撃中隊「8特-2-4」
- 第3特科大隊(えびの駐屯地)
- 第3特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-3-本」
- 第5射撃中隊「8特-3-5」
- 第6射撃中隊「8特-3-6」
- 第4特科大隊
- 第4特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-4-本」
- 第7射撃中隊「8特-4-7」
- 第8射撃中隊「8特-4-8」
- 第5特科大隊
- 第5特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-5-本」
- 第9射撃中隊「8特-5-9」
- 第10射撃中隊「8特-5-10」
- 第11射撃中隊「8特-5-11」
- 第12射撃中隊「8特-5-12」
新編時(1956年(昭和31年)1月25日)
特記ない限り久留米駐屯地所在。
- 第8特科連隊本部
- 第8特科連隊本部中隊
- 第1特科大隊
- 第1特科大隊本部
- 本部管理中隊
- 第1射撃中隊
- 第2射撃中隊
- 第2特科大隊
- 第2特科大隊本部
- 本部管理中隊
- 第3射撃中隊
- 第4射撃中隊
- 第3特科大隊(針尾駐屯地)
整備支援部隊
- 第8後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援中隊「8後支‐2‐特」(北熊本駐屯地):2005年(平成17年)3月28日から2018年(平成30年)3月27日までの間。
歴代の連隊長
歴代の第8特科連隊長
(1等陸佐)
代 |
氏名 |
在職期間 |
前職 |
後職
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01 |
藤家和平 |
1956年01月25日 - 1960年07月31日 |
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自衛隊佐賀地方連絡部長
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02 |
湯川文雄 |
1960年08月01日 - 1962年03月15日 |
陸上幕僚監部第1部付 |
防衛大学校訓練部訓練課長
|
03 |
中島直臣 |
1962年03月16日 - 1963年07月31日 |
統合幕僚学校学校教官 |
東部方面総監部第3部長
|
04 |
小砂文人 |
1963年08月01日 - 1965年03月15日 |
陸上自衛隊富士学校特科教育部副部長 兼 教務課長 |
第8師団司令部幕僚長
|
05 |
小山良三 |
1965年03月16日 - 1967年03月15日 |
防衛大学校教授 |
第1教育団副団長
|
06 |
月野木精 |
1967年03月16日 - 1969年03月16日 |
北熊本駐とん地業務隊長 |
東部方面総監部監察官
|
07 |
加藤博 |
1969年03月17日 - 1971年03月15日 |
西部方面総監部総務課長 |
陸上自衛隊幹部学校研究員
|
08 |
森田橘郎 |
1971年03月16日 - 1972年07月16日 |
陸上幕僚監部第4部勤務 |
陸上自衛隊幹部学校研究員
|
09 |
関屋公弘 |
1972年07月17日 - 1974年03月15日 |
装備開発実験隊火器科長 |
檜町駐とん地業務隊長
|
10 |
尾藤健二 |
1974年03月16日 - 1976年08月01日 |
陸上自衛隊富士学校勤務 |
陸上自衛隊九州地区補給処企画室長
|
11 |
束野和郎 |
1976年08月02日 - 1978年03月15日 |
東部方面総監部業務室長 |
陸上自衛隊富士学校特科部副部長
|
12 |
津志田忠夫 |
1978年03月16日 - 1980年03月16日 |
陸上自衛隊富士学校学校教官 |
陸上自衛隊九州地区補給処総務部長
|
13 |
栗岡武郎 |
1980年03月17日 - 1981年07月31日 |
自衛隊大阪地方連絡部募集課長 |
陸上自衛隊富士学校企画室長
|
14 |
道下富士雄 |
1981年08月01日 - 1983年03月15日 |
陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
陸上幕僚監部付
|
15 |
田中和彦 |
1983年03月16日 - 1985年03月15日 |
東北方面総監部人事部人事課長 |
第9師団司令部幕僚長
|
16 |
藤森篤 |
1985年03月16日 - 1987年03月15日 |
自衛隊愛知地方連絡部募集課長 |
健軍駐屯地業務隊長
|
17 |
志村隆士 |
1987年03月16日 - 1989年03月15日 |
陸上自衛隊幹部学校研究員 |
東北方面総監部防衛部長
|
18 |
宇都宮隆 |
1989年03月16日 - 1991年07月31日 |
陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第1班長 |
自衛隊岩手地方連絡部長
|
19 |
須ヶ崎了英 |
1991年08月01日 - 1994年07月31日 |
陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第2班長 |
統合幕僚学校教育課長
|
20 |
岩崎理一郎 |
1994年08月01日 - 1997年07月31日 |
東部方面総監部人事部人事課長 |
第1混成団副団長
|
21 |
松岡和夫 |
1997年08月01日 - 2000年03月31日 |
陸上幕僚監部人事部募集課 募集班長 |
中部方面総監部総務部長
|
22 |
越川嘉明 |
2000年04月01日 - 2002年07月31日 |
陸上幕僚監部人事部募集課 総括班長 |
自衛隊岡山地方連絡部長
|
23 |
松尾幸弘 |
2002年08月01日 - 2004年08月29日 |
第9師団司令部第3部長 |
陸上自衛隊研究本部主任研究開発官
|
24 |
山本敦督 |
2004年08月30日 - 2007年03月27日 |
陸上幕僚監部人事部募集課 総括班長 |
中部方面総監部人事部長
|
25 |
納冨中 |
2007年03月28日 - 2008年03月25日 |
陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課 訓練・演習班長 |
米国首席防衛駐在官 (外務省出向)
|
26 |
髙橋俊哉 |
2008年03月26日 - 2010年07月31日 |
陸上自衛隊研究本部企画調整官 |
自衛隊岩手地方協力本部長
|
27 |
盛田豊 |
2010年08月01日 - 2012年12月03日 |
陸上自衛隊富士学校主任教官 |
陸上自衛隊幹部候補生学校教育部長
|
28 |
長谷川敬 |
2012年12月04日 - 2014年12月18日 |
情報本部勤務 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課 予備自衛官室長
|
29 |
竹内哲也 |
2014年12月19日 - 2016年03月22日 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課 制度班長 |
陸上幕僚監部運用支援・情報部情報課長
|
末 |
井上 亙 |
2016年03月23日 - 2018年03月26日 |
陸上幕僚監部防衛部情報通信・研究課 研究班長 |
西部方面特科連隊長
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主要装備
警備隊区
熊本県八代市、人吉市、水俣市、 天草市、上天草市、八代郡氷川町、球磨郡(錦町、多良木町、湯前町、あさぎり町、水上村、相良村、五木村、山江村、球磨村)、芦北郡(芦北町、津奈木町)、天草郡苓北町
脚注
出典
参考文献
- “防衛省人事発令”. 2014年12月19日閲覧。
- 『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)
関連項目
外部リンク