第7独立親衛自動車化狙撃連隊 (ロシア海軍)
第7独立親衛自動車化狙撃連隊(だい7どくりつしんえいじどうしゃかそげきれんたい、ロシア語: 7-й отдельный гвардейский мотострелковый полк)は、ロシア海軍の連隊。第11軍団隷下。 第1親衛自動車化狙撃師団として活躍し、旅団、連隊と縮小されたが、師団に隷属しない独立連隊の地位を与えられた。 概要1926年12月29日、赤軍のモスクワ・プロレタリア狙撃師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で創設された[1]。 1936年5月、師団番号統一に伴い、第1狙撃師団に改称された。 1939年8月、第2狙撃連隊を基幹に第115狙撃師団、第3狙撃連隊を基幹に第126狙撃師団が創設された。 1939年12月、自動車化に伴い、第1自動車化狙撃師団に改編された[2]。赤軍初の自動車化部隊となった。 第二次世界大戦1940年6月からバルト諸国占領、独ソ戦に投入され、1941年8月にスモレンスク州で全滅したが、赤旗勲章、名誉称号「親衛隊」を授与された[1]。 1941年9月、第1戦車師団を基幹に第1親衛自動車化狙撃師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で再編された。赤軍初の親衛隊となった。 1941年12月から独ソ戦に投入され、枢軸国に勝利し、レーニン勲章、2等スヴォーロフ勲章、2等クトゥーゾフ勲章、名誉称号「ミンスク」を授与された[1]。 1945年12月、ケーニヒスベルク州カリーニングラードに移駐した。 冷戦1968年8月、プラハの春に投入された。 ロシア陸軍1992年5月、ソビエト連邦の崩壊とロシアの独立で創設されたロシア陸軍に編入した。 1994年12月、第一次チェチェン紛争に投入された。 ロシア海軍1997年8月、ロシア海軍に編入し、バルチック艦隊隷下に配属された[2]。 2002年6月、部隊縮小に伴い、第7独立親衛自動車化狙撃旅団に改編された[2]。 2009年6月、部隊縮小に伴い、第7独立親衛自動車化狙撃連隊に改編された[2]。 ロシアのウクライナ侵攻東部・スヴァトヴェ-クレミンナ戦線→「スヴァトヴェの戦い」も参照
2023年7月、ロシアのウクライナ侵攻では東部ルハーンシク州スヴァトヴェ地区に配備され、占領下のスヴァトヴェを防御した[3]。 北東部・ハルキウ戦線2024年5月、ロシア・ベルゴロド州に再配置され、第18親衛自動車化狙撃師団隷下の第79親衛自動車化狙撃連隊、第280親衛自動車化狙撃連隊と合同で攻勢を開始し、北東部ハルキウ州ハルキウ地区に展開した[4][5]。 編制
第1親衛自動車化狙撃師団編制
第1狙撃師団編制
出身者脚注
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