第1軍 (ドイツ軍)第1軍 (だい1ぐん、独Deutsche 1. Armee)は、第一次世界大戦、第二次世界大戦時のドイツ軍の部隊である。 第一次世界大戦
第一次世界大戦中、第1軍は西部戦線で戦い、1914年8月のシュリーフェン計画に基づく、フランス・ベルギーへの攻勢に参加した。司令官アレクサンダー・フォン・クルック、参謀長ヘルマン・フォン・クールの下で第1軍の任務は戦争を早期に終了させるため、フランスを南東から回り込んでパリを攻撃、包囲することであり、ドイツ軍戦線の最北端を担当していた。 第1軍は戦線1マイル当り、約18,000名(1mあたり10名)の戦力があり、大きな打撃力を所持していた。そのため、8月20日にはブリュッセルの占領に成功、フランス軍の撃破に成功したが、9月初旬、英仏連合軍の反撃によりマルヌ会戦が始まると、パリ手前13マイルの地点で攻撃を止められた。司令官クルックは1915年3月、足に重傷を負い交代した。 司令官
第二次世界大戦
1936年8月26日、第1軍はエルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン大将の元、設立され、マジノ線沿いにドイツ国境の防衛を担当した。その後、フランス侵攻に参加、1944年中頃までは大西洋沿岸に駐屯、連合軍の上陸作戦に備えていた。 1944年6月時には、G軍集団隷下でビスケー湾岸にあった。連合軍によるノルマンディー上陸作戦が発動されると、第1軍は1944年8月、西部戦線のドイツ軍の全面的な退却後にロレーヌで再編成を行った。ドイツ軍最前線での戦いの間、ヴォージュ山脈北部でアメリカ第7軍を防御しつつも、モーゼル川を横断してメスを占領しようとするアメリカ第3軍に対しても防衛戦を同時に行った。しかし、11月、両戦線において敗退、第1軍はドイツ国境へ撤退し、ザール地方の防衛を担当した。 ドイツ軍がアルデンヌにおいて攻勢を仕掛けた時、アメリカ第3軍がバストーニュ救援のために北進している間、第1軍はノルトヴィント作戦(北風作戦)を行い、1945年1月1日、アメリカ第7軍を攻撃、戦線を押し広げ、アメリカ軍を一部撤退させた。しかし1月後半、北風作戦は失敗に終わり、連合軍がドイツ防衛線を突破、第1軍はジークフリート線まで押し戻され、ライン川東岸へ撤退した。 その後、第1軍はドナウ川をアルプス山脈方面へ撤退、1945年5月6日に降伏した。 司令官
参考文献
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