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第十七阪九(だいじゅうななはんきゅう)は、阪九フェリーが運航していたフェリー。当初は西日本フェリーのはかたとして就航、後に関釜フェリー、釜関フェリーでも就航した。
概要
つくしに続く西日本フェリーの第二船として神田造船所川尻工場で建造され、1973年12月8日に神戸 - 苅田航路に就航した。
1975年3月、西日本フェリーが航路を譲渡して解散、阪九フェリーに継承され第十七阪九となり、1975年4月28日からは神戸 - 小倉航路に就航した。
ニューみやこの就航により、1984年1月に引退した。
1984年8月、関釜フェリーに売却されフェリー関釜(3代)となり、フェリー関釜 (2代)(元第六阪九)の代船として9月16日から就航した。
その後、はまゆうの就航により、1998年8月に定期運航から外れた。
1999年2月に釜関フェリーに売却されフェリー釜関(2代)となり、フェリー釜関 (初代)(元第十六阪九)の代船として2月5日から就航した。
2002年5月、星希の就航により、関釜航路から引退した。
その後、改造を受け銀河(Eunha)と改名して、2002年10月21日に釜山 -広島航路に就航したが、2005年8月22日に航路休止となった。
2005年11月、海外売船にあたりEunと改名されて、ギリシャのSaos Ferriesに売却されPANAGIA AGIASOUとなった。
2006年から改造工事が行われたが中断されたため、竣工は2008年となった。
2008年の夏季はブルースターフェリーに傭船された。
2008年、Saos Ferriesが倒産したため、ピレウスで係船された。
2013年3月にスクラップとしてトルコに売却されたが、回航されずサロニコス湾で係船されている。
船内
- 西日本フェリー時代[1]
- 特等室(計18名)
- 1等室(計84名)
- 特2等室(計72名)
- 2等室(計497名)
- ドライバー室(計99名)
- 関釜フェリー時代[2]
- Aデッキ
- Bデッキ
- 1等B(4名×21室 ツインベッド7室・二段ベッド8室・和室6室)
- 2等A(6名×9室+大部屋1室)
- 2等B(マス席・16室)
- 食堂
- バー
- 浴室
- 案内所
- 事務室
- 事務長室
- Cデッキ
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 新船紹介 西日本フェリー「はかた」 - 旅客船104号(日本旅客船協会 1974年)
- ^ 客船紹介定期船 関釜フェリー株式会社フェリー関釜 - マリンブルー・ファンタジー客船新時代の船旅(日本外航客船協会 1991年)
外部リンク