第二号駆潜特務艇

第二号駆潜特務艇
基本情報
建造所 船体:山西造船鉄工所
兵装艤装:横須賀海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型駆潜特務艇
建造費 780,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル急計画
起工 1942年2月27日
進水 1942年8月5日
竣工 1943年3月15日
最期 1944年10月6日被弾沈没
除籍 1947年5月3日
要目(駆潜特務艇・計画時)
基準排水量 130トン
全長 29.20m
水線幅 5.65m
吃水 1.97m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 11.0ノット
燃料 重油9トン
航続距離 10ノットで1,000カイリ
乗員 竣工時定員24名
特修兵教員最大14名
臨時増置人員最大2名
兵装 九二式7.7mm機銃 単装1基
爆雷22個
搭載艇 短艇1隻
ソナー 吊下式水中聴音機1基
軽便式水中探信儀1基
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第二号駆潜特務艇[注釈 1](だいにごうくせんとくむてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜特務艇)。第一号型駆潜特務艇の2番艇。

艇歴

マル急計画の駆潜艇小(木造100トン型)、第500号艦型の2番艇、仮称艦名第501号艦として計画。

1941年12月24日、株式会社山西造船鉄工所で起工。1942年7月25日、第二号駆潜特務艇と命名されて第一号型駆潜特務艇の2番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。8月5日、進水。1943年1月31日、船体概成により山西造船鉄工所から横須賀海軍工廠へ引き渡し。3月15日竣工し、本籍を横須賀鎮守府に、所属を横須賀防備戦隊横須賀防備隊にそれぞれ定められる。27日、軍隊区分横須賀鎮守府海面防備部隊東京湾部隊第二哨戒隊に配置。

4月5日、軍隊区分横須賀鎮守府海面防備部隊南三陸部隊に配置。同日、長浦を出港し女川へ向かう。女川到着後は女川、金華山沖での船団護衛、対潜掃蕩、哨戒等に従事。

5月1日、軍隊区分横須賀鎮守府海面防備部隊第二駆潜艇隊に配置され、第8号駆潜特務艇と同隊第二小隊を編成。同日女川を出港し、対潜掃蕩と船団護衛を行いつつ長浦へ向かう。以後第8号駆潜特務艇とは、同艇の沈没まで多くの行動をともにすることになる。7日から17日まで、横須賀海軍工廠第三船渠に入渠。出渠後は駿河湾の哨区で行動。

6月1日、横須賀防備隊から削除され、第一南遣艦隊第十特別根拠地隊に編入。同月内地を出発してシンガポールへ向かう。7月31日現在、軍隊区分昭南根拠地部隊に配置。8月シンガポール着。シンガポール到着後はシンガポールとペナンを主な出撃地として東はミリ、西はメルギー諸島に至る範囲で船団護衛、対潜掃蕩、哨戒等に従事。

11月4日から18日まで彼南警備部隊作戦指揮下に編入され、クアラルンプール-メダン付近で対潜掃蕩に従事。

1944年2月2日から28日まで、ペナンで機械の修理を行う。6月20日、第十五根拠地隊作戦指揮下に編入。

10月1日現在、特務艇長職務執行者は第十特別根拠地隊司令部附 佐藤直治海軍中尉。10月5日、敷設作業のためペナンを出撃。10月6日、ペナン西方北緯4度20分 東経98度24分 / 北緯4.333度 東経98.400度 / 4.333; 98.400の地点で、浮上したイギリス潜水艦タリホー (HMS Tally-Ho, P317) と交戦し、被弾して搭載爆雷の誘爆により沈没した。本艇の救援のため第9号駆潜艇第55号駆潜特務艇が派遣された。第2号駆潜特務艇は戦死行方不明あわせて26名を出し、第55号駆潜特務艇が佐藤中尉以下の生存者12名と戦死者1名を収容した。

1947年5月3日、第2号駆潜特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。

脚注

注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第二號驅潛特務艇。
脚注

参考文献

  • 海軍省復員庁
    • 昭和17年7月25日付 達第212号、内令第1357号、内令第1358号。
    • 昭和17年9月2日付 内令第1657号。
    • 昭和18年3月15日付 内令第458号。
    • 昭和18年6月1日付 内令第1093号。
    • 横須賀防備隊戦時日誌。
    • 第十特別根拠地隊戦時日誌。
    • 第十五根拠地隊戦時日誌。
    • 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。