竹腰 正己(たけのこし まさわれ、1871年10月4日(明治4年8月20日[1])- 1933年(昭和8年)10月4日[1][2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院男爵議員。幼名・於兔[1][3]。
経歴
旧美濃国今尾藩主・竹腰正旧の長男として生まれる[1][4][5]。父の隠居に伴い、1877年(明治10年)12月22日に家督を継承[1][4]。1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][3][4][6]。
学習院を卒業後[5]、1892年(明治25年)5月、アメリカ合衆国に留学し、テネシー州カンバーランド大学で法律学を学び、法律学士となり、1894年(明治27年)11月に帰国した[2][3][5]。
1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]、研究会に所属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで2期在任した[2]。
親族
脚注
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』39頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』77頁。
- ^ a b c 『大日本華族大鑑』97頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第9版』タ174頁。
- ^ a b c 『華族畫報』上、417頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、21頁。
- ^ 『官報』第8423号、明治44年7月20日。
参考文献
- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。