竹山謙三郎竹山 謙三郎(たけやま けんざぶろう、1908年1月8日 - 1986年3月13日)は、日本の建築家、建築構造学、建築防災学の研究者。 人物静岡県浜松市出身。1932年に東京帝国大学工学部を卒業[1][2]。同年大蔵省営繕管財局に嘱託技師として入局[1]。1945年工学博士(東大、木構造)[1][2]。1946年、戦災復興院第二技術研究所技師[1]、建設省建築研究所、1955年、同所長[1]。1961年に退職。東京都立大学教授。1963年、鹿島建設技術研究所4代目所長に就任[3]、1966年、所内に電子計算センターを新設し日本初の超高層「霞が関ビル」の建設に大きく貢献した。1968年退職[1]、日本女子大学教授[1]。1971年、(社)建築研究振興協会会長、後に名誉会長。建築構造学の重鎮として、「建築鋼ぐい基礎設計施工規準」「建築鋼ぐい基礎工事施工規準」の制定など建築構造学の発展に寄与した[4]。 1943年に「木構造の研究」で日本建築学会賞[1]、1959年にも「東京地盤図の作成」で日本建築学会賞を受賞[5][1]。1978年、勲二等瑞宝章を受章[1]。 兄は竹山道雄。妻・千代は川上俊彦の娘。息子の竹山雄太郎も建設省建築研究所所長を務めた。 著作単著
共著、編著、対談
雑誌、論文
脚注・参考文献脚注参考文献
関連項目外部リンク
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