竹内勝太郎竹内 勝太郎(たけうち かつたろう、1894年10月20日 - 1935年6月25日)は日本の詩人。日本の象徴詩を確立したと評される。 経歴京都府京都市生まれ。私立清和中学校(立命館中学の前身)を中退。東京へ出て、三木露風に師事。独学で自然科学、哲学などを学び、文学を一生の業と考える。フランスの象徴派詩人ステファヌ・マラルメに影響を受け象徴詩の世界へ。 1915年から京都基督教青年会の夜学でフランス語を学ぶ。その後、日出新聞社の市政記者、大正日日新聞社の市政・美術担当記者、大阪時事新報の記者となる。 1928年には知友の支援を受けフランスに渡る。ポール・ヴァレリーに傾倒し、その詩技法は「美を破壊する美」へと変化していく。1929年に帰国。ヨーロッパの美術館についての報告書を京都市へ提出。京都市嘱託として大礼記念京都美術館建設委員会の事務に携わる(開館後は美術館嘱託)。 1932年、当時高校生の富士正晴、野間宏、桑原(竹之内)静雄を指導し、同人誌『三人』の刊行に関わった。1935年、黒部峡谷で黒部川に墜落し、行方不明、後に遺体が発見された。40歳。 著作
『竹内勝太郎全集』(全3巻)が刊行されている。 関連書
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