竜樹 諒(たつき りょう、1954年〈昭和29年〉12月2日 - )は、日本の漫画家。女性。神奈川県出身、横浜市在住。別名義に「たつき 諒」がある。
来歴
1954年(昭和29年)12月2日、神奈川県で生まれる。
高校生(17歳)のとき交通事故に遭ったことで、卒業後「家でできて、生きた証を残せ、顔を出さずに済む仕事」として漫画家を志す。それから出版社への作品原稿の持ち込みを始め、他の漫画家のアシスタントとして描き続けた。その後、『花とゆめ』(白泉社)での受賞が決まっていたが、秋田書店の編集者からスカウトされ、1975年(昭和50年)6月6日刊行『月刊プリンセス 1975年7月号』(通巻 第7号、秋田書店)掲載の読み切り『郷ひろみ物語』にて20歳で漫画家デビューを果たした。以降『人形物語 ドールストーリー』をはじめ多数の作品を発表している。
漫画制作のために記していたアイデアノートをさらに拡大し、1978年(昭和53年)ごろから睡眠中の夢の内容を記録し始める。1985年(昭和60年)からは一冊のノートに『夢の記録』と題した夢日記を絵と文章で記述してきた。これがのちの“予言漫画”(cf. ) へと繋がっている。
1982年(昭和57年)、公式ファンクラブが発足し、クラブ会報誌『クラッシュ』を創刊。
青年誌などでルビが付かないことから、1990年(平成2年)ごろから「たつき諒」名義を多用し始める。
1998年(平成10年)9月、作品『白い手』の発表を最後に「充電期間」を名目に休業し、1999年(平成11年)に44歳で漫画家を一旦引退した。
後述する単行本『私が見た未来』が巷の話題となる前、2011年(平成23年)から「たつき諒」の偽者がSNSなどで散見されたが、2020年(令和2年)ごろから「不思議探偵社」のウェブサイトにて悪質極まる成り済ましが登場した[10]。当該人物は、出版社へも働きかけ、2021年(令和3年)3月26日発売の週刊誌『FRIDAY 2021年4月9日号』(講談社)に「東日本大震災を的確に当てた「予言漫画」次のXデー」「『私が見た未来』の作者が緊急警鐘!幻の”予言漫画”に描かれた衝撃の未来」と題したインタビュー記事を掲載させる[12]。また同年6月9日発売の月刊誌『ムー 2021年7月号』(ワン・パブリッシング)へも「漫画家「たつき諒」が富士山噴火を警告!!」と題した記事を掲載させる暴挙に出た[14][15][16]。さらに、飛鳥新社から『私が見た未来』の復刻版を同年7月に出版すべく画策していた。同時期、たつき諒のもとへ、親戚(甥・姪)から「(たつき諒が)マスコミで話題になっている」との連絡が入る。これに対したつき諒はただちに飛鳥新社と連絡を取り、成り済まし犯の進める復刻版発行を中止させた[18]。その後、企画を一度白紙に戻し、本人承認のもと予言の解説など改訂を施した『私が見た未来 完全版』を同年10月に発刊[19]。
2022年(令和4年)3月、67歳にして新たな漫画単行本を発刊。同書には、過去の絶版作品のほか書き下ろし漫画も掲載され、作家活動の再開が確認された。
単行本『私が見た未来』
1999年(平成11年)7月、「たつき諒」名義の作品集である漫画単行本『私が見た未来』(朝日ソノラマ)が刊行された[21]。同書は、1996年(平成8年)初出の表題作をはじめ、1994年(平成6年)から1998年(平成10年)にかけ雑誌『ほんとにあった怖い話』(朝日ソノラマ)および『恐怖体験』(スコラ)へ掲載された漫画をまとめて所収している。
著者は単行本『私が見た未来』の発売年に漫画家を引退したが、同書の表紙に「大災害は2011年3月」との一文があることから、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災発生時、「今回の大震災を予言していた漫画がある」として耳目を集めた[22]。当該文は、単行本表紙に6枚描かれている「夢日記・夢の記録」の中の1枚だが、この夢に関する記述は漫画本編にいっさい登場しない[22]。他の5枚の記述についても、夢が的中した予言は特に見当たらない[22]。
「大災害は2011年3月」が話題となった当時、絶版だった本書は極めて入手困難状態となる。そのため、古本に10万円以上の高値が付き[21][23]、一時は50万円まで高騰した[24]。さらには、前述した「たつき諒」の偽アカウント所持者が独自の予言を流布してブームを煽ったため、復刻を望む声が高まった。これを受け、2021年(令和3年)10月2日、復刻・改訂版となる『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社)を発売[25]。同書では、「大災害は2011年3月」について詳述された。また2022年(令和4年)3月発売の『たつき諒選集1 怪奇(Mystery)』にて、書き下ろし漫画による解説がなされた。
たつきは1970年代から睡眠時の夢の記憶を記録した夢日記を書き続けており、これらを漫画の題材とした。単行本『私が見た未来』および、復刻版『私が見た未来 完全版』の内容にも、それらが盛り込まれている。著者はこれらの著書を通じて2025年(令和7年)7月に発生する大災難を予言しており[27]、とりわけ注目を集めた『私が見た未来 完全版』は発売わずか1か月半で40万部を売り上げるベストセラーとなった[22][25][24][28]。同書は、2022年上半期ベストセラーにもランクインして総合第6位となり(日本出版販売調べ)、販売部数は56万部を突破。『NHKニュース おはよう日本』(2022年6月1日放送回)をはじめとする数多くのテレビ番組でも紹介され、大きな反響を呼んだ。
人物
血液型はO型。趣味は旅行。
作品
1999年(平成11年)までの作品数は、99本ある。
連載
読み切り
- 郷ひろみ物語(『月刊プリンセス』1975年7月号) - デビュー作。1975年(昭和50年)6月6日刊行。
- ふたりのわたし(『月刊プリンセス』1975年夏休み大増刊号)
- 冬の花(『月刊プリンセス』1976年お正月大増刊号)
- ザ・タカラヅカ とおい灯(『別冊ビバプリンセス』1976年4月25日 SPRING創刊号)[31]
- 哀愁(『別冊ビバプリンセス』1976年8月25日 SUMMER号)
- そよ風のバラード(『別冊ビバプリンセス』1976年10月25日 AUTUMN号)
- ハローレディー(『月刊プリンセス』1977年2月号)
- フランクリン・カウンティの誇り(『別冊ビバプリンセス』1977年4月25日 SPRING号)
- 水中天国(サンリオ『リリカ』1977年6月号No.8)[32]
- まわる花時計(『月刊プリンセス』1977年7月号)
- 夏の夜の怪奇夜話 ミッドナイト・ストーリー(『別冊ビバプリンセス』1977年8月25日 SUMMER号)
- しんでぇれらぁ(『ボニータ(プリンセス増刊号)』1978年夏の増刊号)
- カンバーランドの館(『別冊ビバプリンセス』1978年8月25日 SUMMER号)
- コンサート(『別冊ビバプリンセス』1978年10月25日 AUTUMN号)
- グッド・ラック・ツー・ユー(『別冊ビバプリンセス』1979年1月25日 WINTER号)
- 愛情物語(サン出版『JUNE』1979年5月号)
- 夏休みが来るまえに(『プリンセスGOLD(プリンセス増刊号)』1979年5月初夏の増刊号)
- 少女の花(『別冊ビバプリンセス』1979年8月25日 SUMMER号)
- アメリカン・キックオフ(『月刊プリンセス』1979年10月号)
- 時計物語(『別冊ビバプリンセス』1979年10月25日 AUTUMN号)
- 人形物語 ドールストーリー(『月刊プリンセス』1979年12月号)
- ラジカル・ジョーク(『月刊プリンセス』1980年1月号)
- 星のメルヘン(『月刊プリンセス』1980年3月号)
- クリスタルギャザー(『別冊ビバプリンセス』1980年4月25日 SPRING号)
- 時の中の少女(『月刊プリンセス』1980年5-7月号)
- 雪のジョー王(『別冊ビバプリンセス』1980年8月25日 SUMMER号)[33]
- 倒錯の森(『月刊プリンセス』1980年9月号)
- ラブラブ ラプソディー(『別冊ビバプリンセス』1980年10月25日 AUTUMN号)[34]
- 宝石物語(『別冊ビバプリンセス』1981年1月25日 WINTER号)
- レインボーカラー(『月刊ボニータ』1981年4月号 創刊号)
- セレナ(『別冊ビバプリンセス』1981年4月25日 SPRING号)
- そして誰も死ななくなった(『プリンセスGOLD』1981年5月25日増刊号)
- 春風シンフォニー(『月刊ボニータ』1981年6月号)
- 落とし穴 ピット・フォール(『月刊プリンセス』1981年8月号)
- こわれたタイムマシン(『別冊ビバプリンセス』1981年8月25日 SUMMER号)[35]
- ふざけたヤツら(『月刊ボニータ』1981年9月号)
- ロザリアナの肖像(『別冊ビバプリンセス』1981年10月25日 AUTUMN号)[36]
- 輪廻転生(『月刊プリンセス』1982年2月号)
- たった3分31秒(『月刊ボニータ』1982年3月号)
- なめんなよ!(『月刊プリンセス』1982年4月号)
- シルエット(『月刊プリンセス』1982年6月号)
- すぷりんぐ さんば(『プリンセスGOLD』1982年7月25日増刊号)
- タージ・マハル廟のある町(『プリンセスGOLD』1982年9月25日増刊号)
- 虹色のノクターン(『別冊ビバプリンセス』1982年10月25日 AUTUMN号)
- ちいさなカラの中(東京三世社『SFマンガ競作大全集 PART 17』1983年1月)[37]
- デビュー(『別冊ビバプリンセス』1983年1月25日 WINTER号)
- 水色の航空書簡(『月刊プリンセス』1983年3月号)
- はじめから緒割まで(『別冊ビバプリンセス』1983年4月25日 SPRING号)
- 記憶の鍵(新書館『WINGS (ウィングス)』1983年第5号)
- だんだん馬鹿になってゆく(『Pino(プリンセス増刊号)』創刊号 1983年6月25日プリンセス初夏の増刊号)
- オールナイトでぶっとばせ!(『月刊プリンセス』1983年6月号)
- アトランダム1(『別冊ビバプリンセス』1983年8月25日 SUMMER号)
- ジャックとジル(『プリンセスGOLD』1983年9月25日増刊号)
- ロスからシスコへ(『別冊ビバプリンセス』1983年10月25日 AUTUMN号)
- なよ竹のかぐや姫(『別冊ビバプリンセス』1984年1月25日 WINTER号)[38]
- アガルタ(集英社『ぶ〜け』1984年5月号[39]) - 集英社『ぶ〜け』初登場作品[39]。
- 華物語(集英社『ぶ〜け』1984年8月号[40])※たつき諒名義
- 時計幻想物語(集英社『ぶ〜け』1984年12月号[41])
- BLOODY GRASS―血ぬられた草(集英社『ぶ〜け』1985年12月号[42])
- ERE Junction(集英社『ぶ〜けデラックス』1986年4月増刊号)
- 誓い(集英社『ぶ〜け』1987年10月号)※たつき諒名義
- そんな馬鹿な(マガジンボックス『月刊パンドラ』1989年7月号)
- 雨月物語(マガジンボックス『月刊パンドラ』1989年8月号)
- ガラス窓(講談社『BE・LOVEミステリー(BE・LOVE増刊号)』1990年3月号)※以下、たつき諒 名義
- さくらのした(講談社『BE・LOVEペア』1990年9月号)
- 奇妙な現実(講談社『月刊少女フレンド サスペンス&ホラー特集号』1991年9月号増刊号)
- 妹殺し(講談社『月刊少女フレンド サスペンス&ホラー特集号』1992年1月号増刊号)
- 地下街(講談社『月刊少女フレンド サスペンス&ホラー特集号』1992年9月号増刊号)
- 怪電波(講談社『月刊少女フレンド サスペンス&ホラー特集号』1993年1月号増刊号)
- 磁場(スコラ社『恐怖体験』1994年 VOL.3)
- 彷徨う霊達の話(スコラ社『恐怖体験』1994年 VOL.4)
- 闇の中へ(スコラ社『恐怖体験』1994年 VOL.5)
- 霊がいっぱい(スコラ社『恐怖体験』1994年 VOL.7)
- 夢のメッセージ(スコラ社『恐怖体験』1995年 VOL.9)
- 浮遊霊(スコラ社『恐怖体験』1995年 VOL.12)
- もうひとりの自分(スコラ社『恐怖体験』1995年 VOL.14)
- 冥界の壁(スコラ社『恐怖体験』1995年 VOL.19)
- 怪奇夜話(芳文社『ホラーパニック』1995年5号)
- 便所怪談(芳文社『ホラーパニック』1995年6号)
- 登山道で…(芳文社『ホラーパニック』1995年7号)
- 私が見た未来(朝日ソノラマ『ほんとにあった怖い話』1996年9月号)
- 縁の先(朝日ソノラマ『ほんとにあった怖い話』1996年11月号)
- 伝えられたメッセージ先(朝日ソノラマ『ほんとにあった怖い話』1997年3月号)
- 夢の跡(朝日ソノラマ『ほんとにあった怖い話』1997年7月号)
- 白い手(朝日ソノラマ『ほんとにあった怖い話』1998年11月号)
- 私が見た未来 創作裏話「夢のキッカケと現実」(飛鳥新社、2022年3月 書下ろし)
単行本リスト
秋田書店
その他
参考文献
- 雑誌
- デビュー誌。読み切り漫画『郷ひろみ物語』を掲載している。
- 「月刊プリンセス 1980年5月号」『月刊プリンセス』5月号、秋田書店、1980年4月6日。 くだん書房[2]。
- 『時の中の少女』連載を開始した号。刊行時45歳。作品は。カラー扉で飾った。
- たつき諒に成り済ました人物のインタビュー記事が掲載された。表紙での見出しは「東日本大震災を的確に当てた「予言漫画」次のXデー」、記事のタイトルは「『私が見た未来』の作者が緊急警鐘!幻の”予言漫画”に描かれた衝撃の未来」であった。
- たつき諒に成り済ました人物の記事「漫画家「たつき諒」が富士山噴火を警告!!」が掲載された。
脚注
出典
関連項目
外部リンク