立根村(たっこんむら)は、1952年(昭和27年)まで岩手県気仙郡にあった村。現在の大船渡市立根町にあたる。
歴史
沿革
主な出来事
- 1934年(昭和9年) - 東北地方が昭和農業恐慌と呼ばれる飢饉状態に陥ると、立根村に多数の乞食や旅芸人が流れ込み、乏しい食料を持ち去られる状況となった。村議会では物貰いのノックアウト(ママ)を決議し、「凶作困窮のため乞食、旅芸人、旅僧、押し売り、許可なき寄付貰いは村に入るべからず」としたためた立札を辻々に立てた[1]。
行政
歴代村長
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
千葉太門 |
1889年(明治22年)5月15日 |
1893年(明治26年)5月14日 |
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2 |
今野慶治 |
1893年(明治26年)5月20日 |
1894年(明治27年)8月5日 |
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3 - 4 |
角地吉三郎 |
1895年(明治28年)3月1日 |
1900年(明治33年)1月5日 |
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5 |
今野市郎兵衛 |
1900年(明治33年)3月14日 |
1904年(明治37年)3月13日 |
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6 |
千葉幸助 |
1904年(明治37年)4月2日 |
1905年(明治38年)10月10日 |
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7 - 9 |
今野市郎兵衛 |
1905年(明治38年)12月13日 |
1917年(大正6年)5月18日 |
再任
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10 - 13 |
千葉甚左衛門 |
1917年(大正6年)10月20日 |
1930年(昭和5年)2月1日 |
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14 |
今野拓郎 |
1930年(昭和5年)5月1日 |
1934年(昭和9年)4月30日 |
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15 |
鈴木重徳 |
1934年(昭和9年)5月7日 |
1938年(昭和13年)5月6日 |
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16 |
今野市郎兵衛 |
1938年(昭和13年)6月5日 |
1940年(昭和15年)3月3日 |
三任
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17 |
千葉甚左衛門 |
1940年(昭和15年)4月18日 |
1945年(昭和20年)3月22日 |
再任
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18 |
鈴木重徳 |
1945年(昭和20年)5月23日 |
1946年(昭和21年)12月5日 |
再任
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19 |
今野栄蔵 |
1947年(昭和22年)4月16日 |
1948年(昭和23年)9月8日 |
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20 |
吉野清三郎 |
1948年(昭和23年)10月23日 |
1952年(昭和27年)3月31日 |
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脚注
- ^ 行く先々で聞く娘の身売り、自殺話『東京朝日新聞』昭和9年10月13日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p462 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
参考文献
- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)
関連項目