立川キウイ
立川 キウイ(たてかわ キウイ、1967年1月11日[1][2] - ) は落語家。本名∶塚田 洋一郎[2]。東京都板橋区出身[2]。落語立川流所属、立川談志直門[3][4][5]。 経歴入門まで板橋区立中台中学校、東京都立高島高等学校卒業。漫才ブーム到来で「芸人こそ現代の無頼」と考え、ブームの立役者であるビートたけしが立川錦之介として所属する落語立川流と、その家元である七代目立川談志の存在を知る[6]。談志に弟子入りを志願するも「100万円貯金してからこい」と追い返され、4年かけて100万円貯めて再訪し入門[7]。 1990年12月、七代目立川談志に入門し、立川キウイを名乗る。キウイ自身は由来について「入門当時、よしもとばななや、トマト銀行などが流行っていたからでは」など諸説を挙げている[2]。談志はキウイフルーツを「毛の生えた気持ち悪いもの」[8]としている。談志からは「談の文字が欲しければ、‘談キウイ’と名乗ってもよい」と言われたこともある[9]。 前座時代前座生活は足掛け16年にも及ぶ。同一門下における前座修行期間としては戦後最長記録とされる[10]。弟弟子の真打昇進パーティに前座の身分で裏方に回るという経験もあった[11]。前座時代に3回破門を受けた[7][12]。
前座という立場ではあったが、真打がトリや独演会で掛ける「紺屋高尾」などの大根多を勉強会の高座にかける(一般には前座が真打のネタを高座に掛けるのは禁じられている)[14]。破門期間中は一度も勉強会などを開かなかった。本人は、勉強会の日と復帰試験の日が重なってはいけないからとの配慮からであったと述べている[14]。 二ツ目昇進2007年4月10日に実施された二ツ目昇進試験で談志より「昇格内定」を言い渡され、7月に立川談大、泉水亭錦魚、立川平林、立川吉幸、立川談奈、立川らく里、立川志らべ、立川らく次と共に二ツ目に昇進[1]。 真打昇進真打昇進が決まった時期は2011年7月1日である[3][4]。その決定は2010年3月17日頃なされた。 談志はキウイに対して「まともな芸は期待していない。落語をぶっ壊してやってみろ。求めるのはうまいやつじゃなく面白いやつ」と言葉を贈った[4]。二ツ目から真打まで約4年と、極めてスピード出世となる。ただし、真打昇進記念パーティーは「ビン・ラーディンの喪に服している」ため欠席[15]、また、真打昇進披露に立川談志が出演すると広告していたが、いずれも体調不良のため出席しなかった。 芸歴人物自著によれば、実家暮らし[6]。母親と喧嘩して家出するが、公園で一泊して帰宅したこともあった[6]。主な収入源は、立川流の若手が代々引き継いでいる、師匠・談志が懇意にしている銀座にあるバー「美弥」でのバーテンダーのアルバイトであった[17]。バーは2016年末に閉店[18]。 雷門獅篭が談志門下所属中に立川志加吾の名前でモーニングで連載していた漫画『風とマンダラ』で、個性的な兄弟子として描かれた[19]。また、快楽亭ブラック (2代目)の新作「イメクラ五人廻し」にも実名で登場している。 立川志の輔原作の映画「歓喜の歌」(2008年2月2日公開)に出演しており、ロールにも名を連ねている。 サザンオールスターズのファンであることを公言しており、CDはほぼ全てコンプリートしている[20]。 「愛国落語」「憲法改正落語」などの持ちネタで知られる桂福若の落語会の内容に有田芳生が上方落語協会に対して抗議し圧力をかけた問題については、有田を糾弾し、福若をフォローする立場をとっている[21]。また、有田が2013年8月7日付の『朝日新聞』に掲載されたサザンオールスターズのシングル「ピースとハイライト」の広告に、独自の解釈を交えてヘイトスピーチの話題に言及する文章を寄稿したことに対しても[22]、サザンファンとしての立場から「もしかしたら有田芳生さんって実はSASファンじゃなく、ただその時に利用したのかもしれませんね」といった指摘をTwitterで行った[23]。 著書
DVD
出演
脚注
外部リンク
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