程小青
程 小青(てい しょうせい、1893年 - 1976年)は、中国の推理作家。男性。上海出身。本名は程青心[1]。 中国推理小説の創作および理論面での基礎を築いた人物[2]。中華民国時代の1920年代から1940年代にかけて、「東洋のシャーロック・ホームズ」霍桑(かくそう、フオサン)と、「東洋のワトソン」包朗(ほうろう、バオラン)が活躍する推理小説で人気を博した[3]。 略歴1893年、清の時代の中国・上海に生まれる。当時の中国は翻訳小説ブームを迎えており、特に推理小説が多く翻訳されていた[3]。程小青は、12歳のときにアーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズに触れ、推理小説の魅力を知る。1914年には、新聞の公募に霍桑(フオサン)の登場する短編「灯光人影」が入選[2]。以来、同短編に登場する霍桑(フオサン)を探偵役とする推理小説シリーズを約30年にわたって書き続けた。中国ではこのシリーズは、「霍桑探案」(フオサンたんあん、かくそうたんあん)と呼ばれ、「霍迷」(フオミー)と呼ばれる熱狂的なファンを生むなど、大人気シリーズとなった。同時期にはマレー語にも翻訳され、インドネシアでも読まれた。[4] 1915年、蘇州の中学校の臨時教員となる。ここでアメリカ人英語教師と知り合って英語の特訓を受け、以来、多くの国外ミステリを翻訳、紹介した。1916年に上海で刊行されたシャーロック・ホームズ全集[5]では、翻訳者の主要メンバーの1人になっている。この時のホームズ全集は伝統的な漢文に翻訳されたものだったが、1927年には再び程小青が中心となり、当時の話し言葉に近い文章(白話)に訳したものが新たに刊行されている。[1] 1923年6月、中国初の探偵小説誌『偵探世界』(侦探世界)が創刊されると、程小青は霍桑(フオサン)シリーズや探偵小説論を執筆。同誌は1年で廃刊となったが、程小青は同誌でデビューした孫了紅とともに、1949年に中華人民共和国が成立するまで、中華民国のミステリ界の中心人物として活躍した。 晩年は、1966年に始まる文化大革命の渦中で批判にさらされ、困窮のなかで死去した。 業績中国には明の時代の末期(16世紀末 - 17世紀初め)ごろから、名裁判官が事件を解決する公案小説[6]と呼ばれるジャンルがあったが、程小青はホームズシリーズの影響下に、理性的な推理・科学的な捜査を行う探偵を中国に登場させ、中国ミステリ界に画期的な変化を与えた。 また、程小青は中国の映画界とも深くかかわっており、1930年代には上海の映画会社の依頼で30作以上の脚本を執筆し、主題歌の作詞も行った。[1] 翻訳された作品
関連項目脚注参考文献
中国語のカタカナ表記は、「中国語音節表記ガイドライン[平凡社版](β版、2011年5月26日)」[1]の「メディア向け表記ガイドライン」に従った。 |
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