秋田孝季

 
秋田孝季
時代 江戸時代後期
生誕 天明6年(1786年
死没 天保15年11月24日1845年1月2日
戒名 大雄院殿英徳文明大居士
墓所 福島県田村郡三春町荒町の高乾院
官位 従四位下、主水正
幕府 江戸幕府
陸奥三春藩
氏族 秋田氏
父母 父:秋田倩季
兄弟 東太郎、長季孝季加藤恭尹室、牧野成美正室
正室:秋田季周の娘)
肥季季春、娘(松平忠和正室のち井上正春継々室)、娘(黒田直静正室)、娘(土岐頼寧正室)、娘(谷衛昉継々室)、セイ(大村純顕継室)
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秋田 孝季(あきた のりすえ)は、江戸時代後期の大名陸奥国三春藩の第9代藩主。秋田家第11代当主。第7代主・秋田倩季の三男。

当初は庶子であり、安東姓を称した。享和3年(1803年)11月、兄・長季隠居により家督を継ぐ。同年12月、従五位下山城守に叙任する。天保3年(1832年)3月、長男の肥季に藩主の座を譲り隠居した。隠居後、通称を主水正、伊予守に改めた。天保15年(1844年)に死去した。享年60。

東日流外三郡誌

東日流外三郡誌』が世に出始めた当初は「原本」という扱いであり、編者も孝季本人ということになっていた(あるいは思われていた)[1]。ところが議論が進んでいくうちに、藩主本人が書いたというには無理が出始めたため、「原本」はいつしか「写本」となり、編者も「秋田孝季」(たかすえ)という縁つながりの別人になった。

系譜

父母

正室

側室

  • 戒輪院

子女

脚注