福本晋悟
福本 晋悟(ふくもと しんご、1985年9月4日 - )は、毎日放送報道情報局の記者で、同局および東海ラジオの元・アナウンサー。毎日放送のアナウンサー時代から、阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターの特別研究調査員[1]や神戸学院大学現代社会学部の非常勤講師を務めている[2]。 2009年4月1日から2011年1月31日まで東海ラジオへ勤務した後に、2011年2月1日からアナウンサーとして毎日放送へ移籍。移籍後に修士(社会安全学)の学位[3]や防災士の資格を取得した[4]ほか、京都・観光文化検定で2級に認定されている。また、毎日放送アナウンサー時代の2018・2019年度には、災害報道関連の活動に対してアノンシスト賞(JNN・JRN加盟局の優秀なアナウンサーを毎年表彰する制度)「活動部門」の表彰を受けていた[5]。2023年7月1日付で報道情報局の記者へ異動してからは、このような経歴を背景に、災害・地震関連の分野を主に担当している。 来歴・人物滋賀県大津市の出身で、身長は182cm。趣味は(プレー・観戦を含めた)野球、カフェ巡り、読書など[6]。 京都外大西高等学校を経て、同志社大学政策学部政策学科卒業後の2009年に、アナウンサーとして東海ラジオに入社。同局にスポーツ以外の男性局員アナウンサーが入社するのは、早川佳樹・源石和輝以来であった。アナウンサーとしてのデビューは、2009年9月に『美味時間』内で放送された「中日新聞ニュース」(12時50分頃)・天気予報。 東海ラジオでは、源石やタクマ(『かにタク言ったもん勝ち』のパーソナリティ)などとともに、阪神ファンとして知られつつあった[7]。毎日放送への移籍直後に、同局公式サイト内に開設したばかりのブログで披露した自己紹介にも、「子どもの頃から阪神ファン」との記述がある[6]。 2010年12月末日で担当番組をすべて降板した後に、2011年1月末日付で東海ラジオを退社。翌日の2011年2月1日付で、毎日放送に中途採用扱いで移籍した[8]。 毎日放送への移籍当初は、2011年4月11日から、移籍後初めてのレギュラー番組として『mm-TV』(MBSテレビの音楽・イベント情報番組)を担当。また、福島暢啓[9]と共に、『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ平日午後の情報番組)などへ出演していた。ちなみに、毎日放送が局員としてアナウンサーを採用したのは、福本の2年前(2009年2月)に名古屋の放送局・中京テレビ放送のアナウンサーだった金山泉を中途採用で受け入れて以来である。 2011年10月9日には、MBSラジオで初のレギュラー番組として、先輩アナウンサー・上田崇順が9年半担当してきた『日曜出勤生ラジオ』のパーソナリティを引き継いだ。さらに、2013年5月1日から2016年5月25日までは、『BRAVA!』(MBSテレビのイベント・演劇作品紹介番組)で最終(4代目)コンシェルジュを務めた。また、主に毎日放送の若手アナウンサーが代々担当していた『こども音楽コンクール』(MBSラジオ制作版)のパーソナリティを、移籍2年目の2012年4月2日から2020年3月29日まで務めた。担当期間は8年間で、歴代の担当者としては最も長い[10]。 なお、「新日本放送」時代の1959年3月1日からテレビ放送事業とラジオ放送事業を兼営してきた毎日放送は、2021年4月1日付でラジオ放送事業を「株式会社MBSラジオ」へ移管。毎日放送は移管を機にテレビ単営局へ移行したが、福本はアナウンス職のま同社の総合編成局(移管を機に新設)へ在籍する一方で、株式会社MBSラジオが制作・放送する番組にも「MBSアナウンサー」として出演していた。 2022年7月1日付で、毎日放送総合編成局のマーケティング・PR部へ異動[11]。テレビ単営局への移行時点で総合編成局内のアナウンスセンターに在籍していたアナウンサーから初めて、「正社員」のまま他の部署に異動した。異動後は「らいよん号」などを利用した毎日放送や番組のPR業務に専念していた[12]が、2023年7月1日付で報道情報局へ異動してからは、報道記者として報道系番組への出演を再開している。 災害・防災関連の活動小学3年生だった1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、震度5クラスの地震に滋賀県草津市の実家で遭遇。この震災で両親を亡くした兵庫県内の小学3年生が、発災後に、当時福本の通っていた小学校へ転校してきた。福本によれば、この転校生が1ヶ月ほど福本のクラスメイトになったことが、災害報道や防災に関心を持つきっかけになったかも知れないという[13]。 東海ラジオ入社1年目から災害・防災関連報道への関心が高く[1]、毎日放送移籍の際にも報道番組への出演を志望。2012年4月4日から2013年3月27日までの水曜日には、『VOICE』(MBSテレビが平日夕方に関西ローカルで放送中のワイドニュース)でサブキャスターを務めた。さらに、2014年夏からは一時、『ちちんぷいぷい』内のコーナー「きょうの☆印」で地震・豪雨の被災地への取材リポートを担当。2016年3月28日からは、当時の先輩アナウンサー・水野晶子(2018年12月31日付で定年退職)が担当してきた『報道するラジオ』(MBSラジオ)のパーソナリティに加わった。2018年4月2日から2020年3月30日まで毎週放送されていた後継番組『ニュースなラヂオ』では、ニュースキャスターを務めながら、先輩アナウンサーの上田崇順と交互に「10分で現代(いま)を解説!」を任されていた。その一方で、災害・防災関連の取材も継続。2018年7月に発生した西日本豪雨では、最も深刻な被害を受けた岡山県倉敷市真備町を、発生の直後から定期的に取材している[14]。 さらに、毎日放送のアナウンサー室では、「チーム災害報道」というグループで活動[15]。災害報道ハンドブックの作成などに従事している。このような経験を通じて「客観的な視点でさらに深く災害・防災関連の研究に取り組みたい」という意識が強まったことから、2017年4月以降は、社業(当時はアナウンス業務に従事)と並行しながら「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」の特別研究調査員としても活動している。毎日放送では初めての事例[16]で、同センターでは、「災害発生直後の報道における適切な情報の伝え方」をアナウンサーの立場から学術的に研究している[1]。さらに、関西地方の私立大学(関西大学社会安全学部や龍谷大学政策学部など)では、災害ジャーナリズム論や災害報道に関するゼミで特別講師を務めることもある[13]。 2018年4月からは、アナウンサーとしての勤務と並行しながら、関西大学大学院社会安全研究科の博士前期課程に進学[17]。毎日放送への入社後に携わった災害時アナウンス例文集の改定作業中に、文言の効果を客観的に評価した調査や研究が見当たらなかったことから、「大災害時に命を救うことにつながる放送」をテーマに進学を決めたという[18]。休暇などを活用しながら、3ヶ月に1回のペースで東日本大震災の被災地・宮城県石巻市を訪問。毎日放送を初めとする放送局が災害報道で実際に伝えた内容を基に、大地震や津波の発生を想定して作成したアナウンスの音源を震災の経験者に試聴させたうえで、感想や意見を訊いている[18]。津波が発生した際に適切な避難アナウンスを研究した成果を「津波避難アナウンスメントのありかたに関する研究」という学術論文にまとめたところ、2020年3月に社会安全学の修士号を授与された[3]。 さらに、修士論文の内容の一部を『津波避難キャスターコメントに関する考察―津波避難経験者対象の定性的調査から―』として2021年4月の日本災害情報学会若手研究発表大会で発表したところ、若手発表奨励賞を受賞した[19]。ちなみに、アノンシスト賞の活動部門では、2018年度の第44回に「チーム災害報道」で受賞。2019年度の第45回でも、前述した津波避難アナウンスの研究・発表活動が高く評価されたことから、個人で表彰を受けている[5]。 2022年4月からは、毎日放送アナウンサーとしての勤務と並行しながら、神戸学院大学現社会学部の非常勤講師として災害報道の実践と研究に関する講義を担当[2]。局内でアナウンスセンターからマーケティング・PR部への異動を内示された同年6月には、本人曰く「アナウンサーとして執筆した最初で最初の査読付き論文」という『東日本大震災以降の津波避難アナウンスメントに関する考察 ―津波避難経験者のデプスインタビュー調査から―』という学術論文が日本災害情報学会の審査で採択された。 ちなみに、毎日放送のアナウンサーとして最後にニュースの担当業務に就いていた2022年7月3日には、「最後の出演」になるはずだった定時ニュース(MBSラジオで14時台に『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』内で放送)の後で気象庁が兵庫県の宍粟市・佐用町に大雨警報を出したことを受けて、この旨を伝える「MBS気象速報」をMBSラジオ向けに急遽担当した[20]。その一方で、毎日放送公式サイトのアナウンサーページ内で2017年1月から開設していた公式ブログでは、異動の直後(2022年7月10日)に投稿した最後(通算293本目)の記事で、「(自分のような)会社員にとって『人事異動』は宿命(のようなもの)とはいえ、何の前触れもなく(2022年の)6月21日に内示が出された異動によって、(毎日放送への移籍後にアナウンサーとして目標に置いてきた)ニュースアンカーや災害専門記者への志半ばで(社内の)業務として災害報道に携われなくなることは寂しい」との心境を吐露。「『プライベートでの勉強や研究も会社(毎日放送)に還元できるようやってきた』という自負はあるので、勉強や研究の意義が伝わっていなかったり、価値を(社内で)分かってもらえなかったりしたことは非常に残念」とも述べた。そのうえで、異動後も災害報道の研究・調査を続けながら、学会などでの発表や学術論文の執筆を通じて成果を社会に還元する意向を明らかにした[21][22]。 もっとも、マーケティング・PR部への在籍中に報道情報局への異動を希望していたところ、2023年7月の人事異動で報道情報局の報道センターに配属。この異動を機に、報道記者として災害報道へ再び携わっている[23]。 アナウンサー時代の担当番組東海ラジオ時代
毎日放送への移籍後
MBSテレビ
MBSラジオ
上記の番組に加えて、『MBSサンデースペシャル』→『MBSサンデー・カルチャーナイト』や、『MBSマンデースペシャル』枠内の特別番組でパーソナリティを務めることがあった。 脚注
外部リンク
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