福山村 (岡山県英田郡)
概要現在の美作市柿ケ原・国貞・鈴家・田渕・万善に当たる。 この地域は美作国英多郡英田郷に属し、その後荘園の発達により江見荘の一部となったが、平地が少ないため山家の名称が生まれて江見荘山家と呼ばれることもあり、また古書には山家の荘としているものもあった[1]。 1889年の町村制施行時に13村が合併して豊田村となったが、当地域の5村と他の8村とでは地形的にも旧来からの経緯においても異なることから、1年後に5村が分村し福山村となった[1]。村名は山家の「山」に、嘉字の「福」を組み合わせたものであった[2]。 その後平成の大合併により、町村制時の英田郡豊田村全域が美作市に含まれた。 かつては茶の産地であり、明治期に茶業組合が結成され、田渕に英田郡茶業伝習所が設置された。春の芽摘み期には学校を欠席する児童が多く、村はその出席率向上に苦労し出席奨励を行っていた。しかし大正期に養蚕業が導入されてからは次第に衰退し、茶畑の多くは桑畑となった[2]。 また山地が大半を占めることから木炭やマツタケなどの生産や、植林事業も行われた[2]。 沿革
当時の主要施設地名の読み方
現在の様子郵便番号
教育旧村内に現在教育機関なし 交通鉄道旧村内を走る鉄道およびその駅なし 道路高速道路旧村内を走る高速道路なし 国道旧村内を走る国道なし 県道
河川・山岳河川
山岳
寺院・神社寺院
神社
参考文献
脚注関連項目 |