神光院
神光院(じんこういん)は、京都市北区にある真言宗系の単立寺院である。 概要山号は放光山。本尊は弘法大師(空海)像で、「厄除け大師」として信仰されている。東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三大弘法として有名であり、地元では「西賀茂の弘法さん」の愛称で親しまれる。毎年7月下旬には、空海がキュウリに疫病を封じて病気平癒を祈願したことにちなみ、厄病除けの祈祷「きゅうり封じ」(きうり加持)が行われる[1][2]。 静かな境内を舞台に、『銭形平次』や『御家人斬九郎』、『暴れん坊将軍』を始めとする、時代劇の撮影がたびたび行われてきた[3]。 四季を通して多様な花木が境内に咲くことでも知られる[4][5]。特に12月前後に境内に咲く、白い八重のサザンカは、当院にのみ存在する珍しい品種である[6][7]。 歴史1217年(建保5年)、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神職松下能久が、「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け、大和国から慶円を招いて寺を建立したという[8]。寺名はこの由緒にちなみ、「神光院」と名づけられた。 創建される前には、京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられており、「瓦屋寺」と呼ばれていた[9]。 空海が42歳の時に、当院で九十日間の修行を行ったとされる。修行を終えて寺を去る際に、境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り、厄除を祈願したといわれている。この木像は本堂に安置されている。同時に彼が眼病治癒の祈祷をしていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになった[9]。 その後は密教の道場としても栄えたが、 天保年間(1830年 - 1843年)に堂宇を焼失している。 幕末の女流歌人で陶芸家の大田垣蓮月は、晩年の75歳から当院に隠棲していた。境内には「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑とともに、茶室(蓮月庵)が残されている。蓮月隠棲中の明治初期に、廃仏毀釈運動を受けて一旦は廃寺となったが、蓮月没後の1878年(明治11年)に僧侶、和田月心により再興された。
文化財重要文化財
登録有形文化財以下の5棟の建造物が2021年に国の登録有形文化財に登録された[10][11](官報告示を経て正式登録となる)。
神光院旧蔵の国宝以下の国宝3件は神光院の旧蔵である。 関連項目脚注
外部リンク
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