神保哲生
神保 哲生(じんぼう てつお、1961年〈昭和36年〉11月10日 - )は、日本のビデオジャーナリスト。日本ビデオニュース株式会社代表取締役。インターネット配信事業『ビデオニュース・ドットコム』代表。早稲田大学大学院客員教授。 来歴東京生まれ。世田谷区立瀬田小学校を卒業後、桐蔭学園中学校に入学し、ラグビー部主将として活躍するも、15歳にして自らの意思で桐蔭学園を退学し(桐蔭学園は中高6年間一貫教育)渡米。米国ニューヨーク州郊外ロングアイランドにある全寮制のプレップスクール『ストニーブルック・スクール』に編入する。高校時代は野球、レスリングとアメリカンフットボールで活躍した。1980年にニューヨーク州ニューヨーク市のコロンビア大学に入学したが休学、一時帰国し、国際基督教大学 (ICU) に入学し、1985年に同学を卒業。その後コロンビア大学に復学し、1986年にコロンビア大学ジャーナリズム大学院で修士号を取得する。 コロンビア大学では、バラク・オバマ元大統領と同級生(コロンビア大学1984年卒)に当たるが、オバマが大学3年からの転入生だったのに対し、神保自身はコロンビア大学は大学2年次から日本に帰国してICUに編入していたため、オバマと一緒に学ぶ機会は無かったと、朝日ニュースターの『武田鉄矢の週刊鉄学』に出演した際に語っている。 コロンビア大学では、元CBSの名物プロデューサー(後にCBSニュース社長)のフレッド・フレンドリー教授(映画『グッドナイト&グッドラック』でジョージ・クルーニーが演じた人物)と、神保いわく「世界で最も厳しいジャーナリズムスクールの中でも最も厳しい鬼教授」である元フレスノ・ビー記者のメルビン・メンチャー、元ニューズウィーク編集長のロバート・クリストファー教授らに師事。特にフレンドリーには強い影響を受けたと、自著『ビデオジャーナリストの挑戦』の中で語っている。 大学院修了後は、米クリスチャン・サイエンス・モニター紙やAP通信、カナダグローブ・アンド・メール紙で[1]約10年間の記者生活を送った後、1995年に独立。ビデオカメラによる撮影・取材・編集という一連の作業を記者自身が行うビデオジャーナリストとしての活動を世界に先駆けて開始。ビデオジャーナリストという呼称も、自身が当時パートナーとして一緒に活動をしていたコロンビア大学の先輩マイケル・ローゼンブラムらと共同で考案したと説明している。1995年にテレビ朝日『ニュースステーション』にビデオジャーナリストとして出演。その後、テレビ朝日『ニュースステーション』のレギュラーを3年ほど務めたほか、TBS『筑紫哲也 NEWS23』、NHK『ETV特集』、米ABC『ナイトライン』、米PBS『ニューズアワー・ウイズ・ジムレーラー』『フロントライン』など国内外のメディアに対して100本を越えるレポートやドキュメンタリー作品を提供する。 フリーのビデオジャーナリスト活動を展開する一方で、1996年に日本ビデオニュース株式会社を設立し代表取締役に就任。1998年、委託放送事業者免許(放送免許)を取得して、米ケーブルテレビで経済ニュース専門チャンネルのCNBCと提携したCS放送『CNBCビジネスニュース』をスカイパーフェクTV上で運営する。1999年11月、日本ビデオニュース株式会社はCNBCジャパンの株式を日本経済新聞系列の日経サテライトニュースに売却。CNBCジャパンは日経サテライトニュースと合併し、日経CNBCとなる。一方、日本ビデオニュース株式会社はその売却益をもとに、2000年1月ニュース専門のインターネット動画配信事業者である「ビデオニュース・ドットコム」を立ち上げ、現在[いつ?]に至る。ビデオニュース・ドットコムは2008年夏の時点で会員数が1万人を超え、単年度黒字になったと番組[どこ?]の中で神保自身が報告している。 同コンテンツでは、社会学者の宮台真司と共にパーソナリティを務める『マル激トーク・オン・ディマンド』が毎週公開され、2024年6月現在でその配信回数は1200回を数える。また宮台とは共著も多い。 2005年より立命館大学産業社会学部情報メディア学科教授として、主にメディア論の実習科目を担当し、同大学におけるジャーナリズム実習教育のベースを作るが、2009年3月で同学を退職。本人は「当初から5年間の約束だった」と説明するが、日本ビデオニュースの経営、インターネット配信事業『ビデオニュース・ドットコム』の運営と毎週のキャスター役、ジャーナリストとしての取材活動に加え、毎週東京と京都の往復に「5年が限界」と、自らが司会を務めるマル激トーク・オン・ディマンドで語っている。 立命館大学では、インターネット動画配信チャネル『VJ道場』を主宰した。取材実習に費やされるゼミと併行して、メディア問題を考える私塾も主宰していた。早稲田大学大学院政治学研究科で教員を務めたことがある[2]。 著書単著・共著
翻訳書
マル激本マル激をテーマ別に収録したもの
出演ウェブ番組
ラジオ
脚注
関連項目外部リンク
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