石谷甚三郎
石谷 甚三郎(いしたに じんさぶろう、1887年(明治20年)2月15日[1] - 1981年(昭和56年)9月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。 経歴1887年(明治20年)に三重県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[1]。1937年(昭和12年)10月13日に歩兵第33連隊補充隊長に就任し[2]、11月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1938年(昭和13年)5月に歩兵第133連隊長(中支那派遣軍・第116師団)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]、漢口攻略戦、大通南方地区作戦などに参加した[1]。1940年(昭和15年)4月に京城陸軍兵事部長に転じ[2]、1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級した[2]。 1942年(昭和17年)9月に第14独立守備隊長に就任し[1]、1943年(昭和18年)8月2日に西部軍司令部附となり[1]、8月31日に予備役に編入された[1]。1944年(昭和19年)7月14日に召集され新潟連隊区司令官に就任し[1]、1945年(昭和20年)3月31日に津連隊区司令官兼津地区司令官に就任した[3]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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