石原伸司
石原 伸司(いしはら しんじ、本名:石毛 義雄[1]、1938年5月25日 – 2018年〈平成30年〉3月6日)は、日本の元作家、元ヤクザ。東京都墨田区出身[2]。「夜回り組長」と呼ばれ度々メディアに登場したが、2017年から翌2018年にかけて強盗殺人や傷害事件を起こし、入水自殺を遂げた[3]。 来歴東京都墨田区東両国生まれ[* 1]、まもなく空襲を避けるため千葉県習志野市に疎開[2]。父親は闇ブローカーで母親は「かつぎや」(闇屋)をしていた[4]。父親の暴力に耐えかねて12歳で家出、東京の繁華街で浮浪児として過ごし銀座のナイトクラブのホステスに拾われる[5]。ホステスは若かったため、石原を愛人や彼氏ではなく、自らの子供として接した[5]。読み書きはそのホステスに教わったという[5]。 15歳でチンピラ、22歳で暴力団構成員となり、銃刀法違反、傷害など犯罪を重ね、大阪刑務所をはじめ、宮城刑務所、府中刑務所と刑務所で30年近くに渡り服役[6]。 2001年5月、徳島刑務所での服役後、刑務所手記などを発表[7]。また、自身の体験をもとに繁華街で若者の悩みを聞きながら、非行の防止や更生を支援する活動を独自に始めるようになり、「夜回り組長」としてメディアで大きく取り上げられる[1]。テレビ番組への出演や執筆活動をこなし、さらには半生が映画化もされた(黒沢年雄、多田あさみ主演の『逢えてよかった』)[8]。 しかし、その当時交際していた資産家の女性と別れてから生活に困窮するようになり、昔の仲間やマスコミ関係者に借金を申し込んだり自分の服を強引に売りつけるなどトラブルが増え始める[9]。また死後、メディアの取材によって石原が生前語っていた経歴が虚偽のものであった事も判明しており、実際には組を持っていたことも、幹部などの役職に就いたことも無く、引退するまで下っ端の構成員だったという[10]。 2017年10月26日未明、東京都豊島区のサウナ付き簡易宿所において、当時70代の男性利用客を絞殺し、時価100万円相当の腕時計を奪う事件を起こす[11]。翌2018年3月6日夜、今度は墨田区内の公園で男性を刃物で切りつける事件を起こしたのち隅田川に飛び込み、溺死[3]。79歳没[1]。同年4月5日、前年10月に起こした強盗殺人で容疑者死亡のまま書類送検[11]。報道では「職業不詳」とされた[3]。 作品著作
原作
監修
ドキュメンタリー
メディア出演テレビ映画
脚注注釈
出典
関連項目参考資料
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