真巌寺
真巌寺(しんがんじ)は、三重県尾鷲市九鬼町314にある曹洞宗の寺院。山号は医王山[1]。本尊は薬師如来。 神奈川県相模原市緑区津久井にある功雲寺の末寺[1]。境内には幹周8メートル、樹高22メートル、樹齢約800年のクスノキがある。2013年(平成25年)以後の住職は小倉康司。 歴史中近世正平元年(1346年)、九鬼氏の祖である九鬼隆信(藤原隆信)によって薬師寺が創建された[2]。現在の本尊である薬師如来は草創以来のものであるとされる[2]。 紀伊国北牟婁郡九鬼村の川上氏一族が薬師寺の世話をしていたが、寛永10年(1633年)頃に僧の真岩元達がやってきて住職となった[1]。寛永17年(1640年)11月、真岩元達の留守中に焼失したが、弟子の林恕は薬師如来を救い出して寺の前にあった池に投げ、本尊のみは焼失を免れた[3][1][2]。古文書はこの際に焼失している[1]。 寛永21年(1644年)、現在地に薬師寺が再建された[1]。万治元年(1658年)の九木浦には薬師寺、延命庵、林泉庵の3か寺があったが[4]、薬師寺は他の2か寺を合わせて真巌寺と称した[1][2]。寛文8年(1668年)、真巌寺に成ったタチバナの実を江戸在住の紀州藩主に献上した[5]。 延享4年(1747年)には65両で本堂を瓦屋根とする葺き替え工事が行われた[6]。 近現代1872年(明治5年)に学制が公布されると、1877年(明治10年)には真巌寺に九木学校が設立された[7]。初年度の児童数は男21人・女2人の計23人だったが、1880年(明治13年)には46人、1883年(明治16年)には73人にまで増加している[8]。1883年(明治16年)には九木漁港近くに九木学校の校舎が新築され、真巌寺から移転した[8][9]。 1955年(昭和30年)9月12日、真巌寺薬師如来坐像が尾鷲市指定有形文化財に指定された[10]。1956年(昭和31年)5月2日、真巌寺薬師如来坐像が三重県指定有形文化財(彫刻)に指定された[2]。2014年(平成26年)4月には三重県総合博物館の開館記念展に出展されたが、この際に傷みが激しいことを指摘された[11]。檀家からの寄付や三重県の補助金などを活用し、2016年(平成28年)秋には約200年ぶりに真巌寺薬師如来坐像の修復作業を行った[11][12][13]。 歴代住職
文化財県指定文化財
現地情報
脚注
参考文献
外部リンク |
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