相翁松の碑相翁松の碑(あいおいまつのひ)とは、神奈川県小田原市江之浦にある石碑である。相翁松碑(しょうおうしょうひ)とも表記する。1907年(明治40年)に、坪野平太郎、阪谷芳郎、添田壽一らによって建立された。 概要神奈川県小田原市江之浦の神奈川県道740号小田原湯河原線(旧国道135号)沿いにある。付近は標高100メートル以上の高台になっており、碑付近からは相模湾を望むことができる。碑は、県道から階段を上がった木立の中にある。碑の傍らに道祖神も建っている。 経緯誓い1884年(明治17年)、当時東京帝国大学の学生であった坪野平太郎、阪谷芳郎、添田壽一の三人は、春期休暇を利用して、共に東京から熱海への旅行へと出かけた。その途上、足柄下郡江ノ浦村の街道沿いに老松があり、三人はそこで休憩することにした。老松は枝ぶりが良く、またそこからの相模湾の眺めも爽快なものであった。三人はその老松の下で将来を語り合った。そして、「我々は親の恩恵により学問を修めている身であるが今、又、ここに爽快な景色を見、大いに英気を養うことができた。将来、立身したならば此の地に碑を建てよう」[1]と誓い合った。 出世と再会その後、三人はそれぞれ次の形で立身出世を成し遂げた。 老松の下での誓いから23年経った1907年(明治40年)3月、三人は約束通り江ノ浦を再訪し、かつての老松の下に石碑を建立した。碑は、坪野書、文は阪谷の撰、筆者は添田によっている。 その後この話は、立身出世の手本として、当時の小学校の教科書に「松下の誓い」として掲載された。1923年(大正12年)、関東大震災により碑は倒壊し土中に埋没。老松も倒壊した。碑は再建され、その旨が碑に追刻された。松については、2世が植栽された。小田原市立片浦中学校の校歌にも相翁松が歌われている。
脚注
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